ちょっと一段落

いま原稿をメールで送って一段落です。
このところいくつもの原稿が重なり、おまけに地方に出かける機会も多く、アップアップで、ついブログの更新を怠ってきました。

94年に出した本の文庫版ということで、修正を開始したら、今の時点とはあまりに違い、修正というよりもほとんどが新規に書いたり、もう無茶苦茶です。
葬儀の変化が95年前後ですから、その変わり目に書いたもので、自分なりに愛着がある本ですが、15年はさすが変化が激しく、書き直しを余儀なくされました。

ずいぶん変わったものだ、と思います。
いい変化ももちろんあるのですが、これはおかしいぞ、というのもけっこうあります。

「葬儀・告別式」がなくなって「通夜・告別式」と言ったほうが適当になり、「直葬(ちょくそう)」が増えたり、関西では「香典辞退」が増えたり、「自宅葬」が風前の灯であるだけではなく、遺体の自宅への搬送・安置が少なくなったり、葬祭文化を無視した儲けだけを考えた新規参入組が増えたり、etc.

最近、腹を立ててるのは、首都圏での出棺前の初七日
犯人は葬儀社か遺族か僧侶か、と言っているうちに一部の葬儀社は標準コースにしてしまっている!
何たる見識のなさか。
こんなのはやらないほうがまし、と僧侶は一致して異議を唱えるべきだと思う。
「やるだけまし」では断じてない。

「家族葬」の実態は「安い、簡単な葬儀」の意味になっているのが7割くらいか?

「一応お葬式はしましたよ」といういい訳になっている。

何にもしないでよいから、家族だけで遺体を囲んで、ずっと2日間でも過ごしてみたら。
きっと、そのほうが意味があるに違いない。
外から鍵かけて閉じ込める。

手製の会葬礼状以外は認めない、とか。

死者と係らずに済むようになっている。

斎場(葬儀会館)のロビーでコーヒーの無料サービス?
葬儀は少しくらい不自由な方がいい。快適だと何のためにここにいるかも考えなくさせちまう。

年寄りは子ども世代に「迷惑をかけたくない」なんて考える必要ない。
今の孫ども祖父母の葬儀で香典を出すどころか、交通費に日当まで祖父母の葬儀用貯金からもらっている。

一段落、なんて書くと怒る人もいるはずだ。
「まだ、こっちには来ていない!」と。

6月、7月はそうでなくとも忙しいのに、自分で自分の首を絞めているみたいだ。
今のところ、ここ少しはウツも大人しくしてくれているから楽だ。

そういうわけで生きています。

現状報告まで。

広告

投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/

「ちょっと一段落」への3件のフィードバック

  1. 元気に生きているだけで、乾杯!です。働き過ぎにご注意ください。15年で激変ですか・・・。これからも、ブログ、楽しみにしています。

  2. おそうしき・・手間をかけず、時間をかけずに、・・・あまりにも便利になりすぎて・・煙突がなくなったせいで煙も見えない・・僕がこの仕事に就いたときには、火葬場に到着後お経があがり、みんなでお別れをして火葬炉に火が入る。炉の前で涙を流し・・外へでて空を見上げると透き通った青空に白い煙が吸い込まれていくように上っていく・・・ほら!おじいさんがお空へ上っていってるんよ・・・なんていう大切な人の死と亡くした悲しみを受け入れる時間さえ無くなっていく。でも・・お別れのカウントダウンを大切にすごさせてくださる一生懸命な次代のお寺様も見逃せないんですよ。  僕もがんばってます。  記事を楽しみにしています。ご自愛ください。

  3. あきさん
    そちらも忙しそうですね。
    やっとこさ生きています。
    うめぞうさん
    日本は広いので、今でも喪主が火葬開始のボタンを押させられる火葬場もあるそうです。
    再燃炉になり煙がほとんど出ない火葬場、煙突を見上げる風景がなくなりましたね。
    私も地方へ行くと、講演後に熱心に質問されたり、意見を言ってこられる若い僧侶の方がいます。
    どうしていいかわからないでいる方がたくさんいます。

コメントは受け付けていません。