いやいや前回の更新が8月22日ですから3週間ぶりの更新です。
何かすると、すぐ疲れてしまい、効率の悪い生活をあいかわらず過ごしています。
一応、原稿はボチボチです。
加えて講演の資料とか、けっこういろいろ地味な仕事もあります。
前回書いた「力を入れた」原稿を書き終えて8月28~30日は新潟・妙光寺の第20周年を迎えた「フェスティバル安穏」に出かけました。
いろいろな人から、私の後に舞台に登場した小室等さんに、白髪だけではなく、話し方のトーンが似ている、と言われましたが。
今年は個人的な想いもあり法要途中での井上治代さんの言葉には思わず泣かされました。
若い人がスタッフに加わっていただき、3分の1くらいが毎年入れ替わり、また少し休んで戻ってきたり、と人間の回転がうまくいっていて「長老」としては、たのもしく思い、すっかり楽させてもらいました。
30日が車の中でしたので、27日に衆議院選挙の期日前投票に行きました。荻窪駅の南口すぐの出張所かと思ってたところ、かなり遠いところでした。当日投票所より狭いですが、セッティングは同じ。
20年…はぁはぁしながら、私は生きてきたことが不思議な感じです。
当然にも昔20代の若者が40代の中年になっています。
8日の夜会った人たちも昔は20代でしたが、今は責任ある立場の40代、自ずと発言も変わってきています。
その中で、体力は老いても、精神年齢が若い私は、何か追い越されていき、自分だけが大人になれない感じがしました。
私の8月は、皆さんに不義理をしながら、ゆっくりと年来の課題に挑戦。得るところが多かったので、充実したものでした。
「読む」と「書く」は大違いで、書くためには自分の態度、視点が試されるので、「格闘技」をしている感じです。
たくさんの本を並べ、結局使うのはその3分の1以下になりますが、昔読んだものでも、いちいち再確認をしますし、書き進めると、この問題は自分のこれまでの考え方を修正する必要が出てきたり、と相当スリリングな体験でした。
結論はまだ煮詰められてはいないのですが、それはこれから、ということで、私がどう考えたか、の軌跡を見てもらうことに重点を置きました。
いろいろな試験もありましたが、9-10日は受験する人が5人という小試験。受験者は8-9日と講習し、前に学習したことのおさらいをし、10日に試験。私は9日の講習、場所を間違えたために20分遅刻というチョンボをしました。
10日の私が担当した科目の試験は、空所に自由書き込み式。「あ、こう考えたんだ」「いいところまで行っているけどな」という微妙な点が見えて、採点していて、ある意味で楽しかったです。
もちろん大勢の試験ではかなわないのですが。
今度は単問半分と極小論文形式にしようかな、と思っています。
最近、若い人に期待する気持ちがたくさん出てきました。
感性が豊かで、すれっからしでないところがいいです。
青木新門さんではありませんが、「バトンタッチ」をうまくやっていきたいと思っています。
そのためには、さっさと身を退いたほうがいいのかもしれません。
新刊『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫)では、元本の『「お葬式」の学び方』の巻頭で書いた少しだけ歳が若かったS君の死の話を後日談を加えて再録しました。
これを読んだ、S君のいちばんの友人が「読んでいて辛かった」と感想を寄せてくれましたが、今でも辛いです。
この体験がなければ、私は死や葬送を今扱っていなかったろうし、扱っていても視点がずいぶん違ったものになっただろうな、と思います。
今年の夏直前に私よりも3周り近く年少の友人が死にました。これも自分の8月、1つの原稿に取り組んだ理由の一つでした。
顔も表情も話すときの癖も、手のひらの温かさも、手触りできるように今も感じています。
きょうは午後に出かけ講演します。高齢者の多い集まりになると思うのですが、死は高齢者だけのものではない、ということをどこかで言おうと思っています。
たびたびお世話になっている者です。
日経BPセカンドステージの「冠婚葬祭講座」が先々月に62回で終了となり、こちらも最近更新が無いので心配しておりました。
相変わらずお忙しいようで何よりです。
今後もご教示いただければ幸いです。
日経BPのセカンドステージそのものが終了になり、今はそのまま読める状態です。
そんなに忙しくはしていませんが、最近疲れやすくて、まいっています。
きょう昼に富山から帰ってきましたが、帰りの飛行機は眠ってしまいました。