注意力散漫

昼間は暑いくらいで、朝夕は涼しい季節です。
昨日からジャケットを一応持つことにしました。
でもTシャツとジーパンというくだけすぎた習慣を脱するのはちょっぴり苦痛であったりします。

野球はジャイアンツが優勝したというのに3位争いが激しく、最後までもつれる感じです。世間の関心は、読売・報知連合を除いて、そちらに向いています。
子どもの頃からのジャイアンツ・ファン(それ以外の選択肢はありませんでしたから)としては優勝の2文字がうれしいのですが、仙台に行った楽天のにわかファンでもあり、何とか3位に食い込んでほしい期待。

子どもの頃にしたバスケは、今の日本があまりに弱く、関心を失いました。
バスケのようなチームスポーツは、チームから離れると遊ぶこともできなくなり、生涯スポーツとしてはダメですね。観戦もNBAをたまにテレビで楽しむくらい。
私のイメージでは小さいのはすばしっこく、大きいのは動きが鈍という印象がありましたが、それが背の高くない私にとってはやっていけたところでしたが、NBAは2メートルというのがすばしっこくあったりするのですから嫌になります。
そういう凄さがかえって私を熱心にさせないようなのです。

春以来、ミスが目につくようになりました。自分のです。
それは周囲に相当迷惑をかけてしまうのですが。
歳のせいにはしたくはないのですが、明らかに注意力散漫で、自分が引用した文の出所を忘れてしまうという、致命的なものまであります。
書いているときは参照したはずなのに、記憶がブチっと切れてしまっているのです。
情けないやら…

思いついたアイデアはメモしているようにしているのですが、そのメモの所在がわからなくなったり…
それでも切れ端でも日にち順に、内容順ではなくファイルするようにはしているのですが、漏れるのが多いのです。

地方に行く、といっても最近は飛行機やら新幹線やらが多く、移動の時間は短縮されているのに、結構疲れます。
以前は機内やらでは本を読んだり、車中であれば原稿書いたりしていたのですが、追われているときはせざるをえませんが、今は眠ることがほとんどです。
一応本は開くのですが、自然に目が閉じてしまうのです。

最近は、我慢が足りなくなっています。
言いたいことは言う、というようになっています。
ま、断って言いますが。
黙って他人の話を聴くというのができなくなってきています。

行った先で、つい言ってしまうので、皆さんにはご迷惑をおかけしています。

先日、よく知った記者が私の本に触発されたと「直葬」についての取材を受け、記事になったら、すぐテレビが取り上げるは、問い合わせが多く、メディアの影響の強さをしみじみ感じました。

また、ある新聞で葬儀関係の話題が書かれていたので、「ヘェー」と読んでいたら、最後に私のコメントがあるじゃないですか。
取材を受けたこと自体を忘れてしまっていたのです。

もう、あまり無責任なことはしないよう注意しなければなりません。

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/

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