12月8日という日

きょう12月8日は日米英開戦記念日である。
1941年のこの日、私はまだこの世に存在していない。

もっとも1937年7月7日に日中戦争が起こっており、この戦も含んで第二次大戦のアジア戦線とでも言うべきものである。
欧州戦線が勃発したのが、ドイツがポーランドに侵攻した1939年。

1937年に20歳だった人は、いま生きていれば92歳
1941年に18歳だった人は86歳
そして敗戦の1945年に16歳であった人は80歳である。

いま80代の方々が、青春時代に戦争に駆り出された中心世代である。

私たちは今「太平洋戦争」と呼ぶが、日本政府の当時の名称は「大東亜戦争」であった。

愚かな時代であったのは日本だけではない。
英仏の植民地大国はもとより、アジアの権益に注目していたアメリカもそうである。

「デモクラシーと独裁専制の戦い」などと美辞麗句を並べるアメリカ国民もいるが、そんな美しいスローガンは現実とは異なっている。
日本は米英等に比べて、明確に非力であったのに、愚かなことに、その現状分析を曖昧にしたまま、戦争に突入を余儀なくされた。

アメリカのルーズベルト大統領が、当時の米国内の戦争不介入を唱えるモンロー主義脱却を図るために、日本軍がハワイ真珠湾を攻撃することを事前情報としてもっていたにもかかわらず、あえて日本軍の先制攻撃を許して、国民の戦争参加支持をとりつけた、という分析もある。
これをもって「ルーズベルトの謀略」と言い、また日本に対する禁輸政策をもって「日本は戦争に追い込まれた」のであり、日本は「自衛のための戦争」をせざるを得なかった、と主張する人もいる。
しかし、得たものはない。
だが、戦争がなければいまの日本は違ったものだったろうし、いまより幸福な時代であったかはわからない。

その前の日中戦争にこの(「追い込まれた」)理屈は通用しない。
新興国日本が日清、日露の戦争に自信を得て、狭い日本だけでは不足すると大陸進出を狙ったものであろう。

戦争というのは、論理の飛躍がある時に発生する。
論理の飛躍をもたらすのはそれぞれの国の背後の事情であるし、空気である。
日本で言えば、地方農村の疲弊克服の切実さが大陸進出の源をつくったし、「皇軍」という見方が軍事力を冷静に分析する目を眩ました。

よく戦争に「悪意」を見る人がいる。勝者と敗者を「善」と「悪」によるものと宣伝する。
日本も米英を「鬼畜」と宣伝し、米英も日本やドイツを「専制主義」と宣伝し、それをもって自国軍の第一線の兵士たちや国民の士気を鼓舞し続けた。

だが一方を悪と断じることはできないのはあまりに当然の理屈である。
東条英機やA級戦犯の個々の悪意が戦争を引き起こしたのではない。彼ら(当事者を誰とするかは議論のあるところだが、当時の政治に関与した者)は、戦争回避、戦争の早期中断に積極的に動かなかったのであり、非常に偏屈な軍国教育を許したのであり、民衆の中にあった自由を抑圧をし、憲兵統制を許したのであり、あるいはそれ以前の政策の誤りを正すことなく継続したのであり、当時の為政者は、政治家という意味で失格者であったのである。犠牲となった国民やアジアの人々に謝罪し、償う責任がある。

例を近くにもってくれば、2005年のJR西日本の尼崎で起こった福知山線脱線事故である。
107名が事故死し、562名にのぼる多くの負傷者、心的外傷後ストレス傷害を引き起こした人もいる。

事故の直接の原因は運転手がカーブをスピードを落とさず曲がろうとして曲がれなかったことかもしれない。
だが、新型自動列車停止装置(ATS-P)が設置されていれば防止できたのではないか、運転手が時刻の遅れを取り戻そうとしたのは運転手に遅れに神経質にならざるを得ないような教育体制に問題があったからではないか、また、過密ダイヤ、会社自身に安全対策の重要性の認識欠如があったのではないか、等が指摘されている。

こうした間接原因を招いた職場環境、ダイヤを組む姿勢、トップの施策に安全への認識の低さがあったことが責任として問われることはもちろんであり、それを責任者が問われるのは当然である。
個々の人間の人格を問題にしているのではない。職責が問われている。

A級戦犯も戦争を招き、国内外に甚大な被害をもたらしたことへの職責は問われてしかるべきである。

確かに私が子ども時代に体験した戦後教育は、戦前の軍国少年育成教育への反動なのだろう。A級戦犯憎し、軍隊憎し、で凝り固まったものであった。
いま70代の人たちは、敗戦後に再開された学校で教科書に墨入れし、昨日までの価値観と真逆なことを教わったのであるから、何にも信じられないという思いは切実なものであったろう。

戦争体験を伝え、記録する。これはまっとうなことである。85歳以上の人の多くは被害者であっただけではなく、その大きさはともかく、また職責は問われなかったにしろ、指導者の煽りがあったとはいえ、自らも戦争の正当性を唱え、煽った加害者であったのだ。

戦役を解かれ帰郷した元兵士たちの多くが沈黙を守らざるを得なかったのは、自ら個人ではどうしようもなかったものの、徴兵され戦場で身体も心も傷ついた被害者であっただけではなく、加害者でもあったという想いであろう。
それを戦後の無謬の被害者面をしたノウテンキな平和運動の前で責められているような、人民裁判にでもかけられるような雰囲気で、ただ口を閉ざし、戦争の現場の詳しい話は家族の前でもしなかった無名の寡黙な元兵士たちが数多く存在した。

第二次大戦までの、あそこまで過酷な戦争はまだないが、小さな戦争、あるいは飢えとの戦争は、日本ではないが、アフリカやアジアで絶えることなくあちこちである。

1年に何回か戦争を再記憶するというのは日本という国に生活する者の健康な作業であると思う。

12月5日東大安田講堂に行った。
青木新門さんが講演するので、ご挨拶がてらその学会をのぞいたのだが、黄葉がすばらしかった。

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/