私にとっての読者

今年は雪がなかなか降らず、スキー場は心配だったようですが、無事(?)雪も降ったようです。
私はスキーを含め雪に関するスポーツは一切しないのですが、夏の海水浴場と同様に天候によって変動するお仕事、大変だと思います。

私は専ら「気分」に影響されるので、その合い間を縫って原稿に取り組むのですが、これは結構辛いものです。
でも、こういう状態での仕事にも前に比べれば馴れてきました。これが自分であると思えば、何とか制御できるものです。といってすんなり原稿が書けるわけではないのですが。

相変わらず、周囲には迷惑をかけどおし、というのは変わりませんが。
でも締め切りすぎて「書けない病」が続いていると、プレッシャーは半端ではありません。

私は「原稿を書いている」というほどは書いていないのですが、うれしいのは感想を書き送っていただくことにつきます。批判でも何でもいいのですが、書いてくださるとは読んでいただいたということですから、文句なしにうれしいものです。
「書く」のは読者がいることを想定しているわけで、何も言われないというのは大きな不安です。
「読んだよ」「買ったよ」という声は聞くのですが、「それでどう感じたか」について、思いっきり批判してくださってかまいませんので是非書いて送ってくださるとうれしいです。

「書く」人はみなそうなんでしょうが、何らかの形で状況(それぞれですが)に切り込みたいと思っているのですが、それが読者不在の独白ではないか、という不安に戦(おのの)いているのです。

その中で定期的に感想を書いて送ってくださる方がいます。きちんと「この点はよかった」「勉強になった」と葉書に細かく書いてくださる方がいます。知っている方というよりもご指導いただいている方なのですが、その方の葉書は私を後押ししてくれます。
その方の葉書にどれだけ助けられたことか。
今も書き続けていられるのはその方のおかげです。

私も献本されたからと、すぐ感想を書いて送る(最近はもっぱらメールですが)というタイプではありません。
でもすぐざっと読んで、後からじっくり読む方に分類したり、読む必要のないものに分類したりします。

でも雑誌で書評(読書紹介)を書くときには読んで書きます。書評で簡単なのは誉めるもの、反対に大変なのは批判するものです。

批判するときは暗闇で決闘しているようなものです。でも表面的には冷静を装ってサラッとと書いておきます。そういう、ちょっとは言わないといけない本については、まず最初の方では誉め殺しをしがちです。そしてチラリと疑問符をつけますが、この仕方に苦心します。結構人が悪いのです。そのチラッと書くフレーズのために最も時間を要しますし、神経も遣います。

でも、どこかで「読むかどうかは読者次第だから」と気楽になる点もあります。
書評というのは繊細な神経と根気が必要なのです。

広告

投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/

「私にとっての読者」への2件のフィードバック

  1. 一年があっという間に終わり、新しい年を無事に迎えました。毎年年初に今年は・・・と色々思いますが、年の終わりに考えると時間を無駄にしてしまって反省しています。葬儀社勤務時代は碑文谷先生の葬儀概論で葬儀の勉強させて頂いてディレクターを受験させていただきました。葬儀の現場では「SOGI」で日本・世界の葬儀事情を学び、偏った考えの多い葬儀社の中で自分の葬儀に対する考えをしっかり持てたと感謝しています。今は葬儀の現場からは少し距離をおいていますが、葬儀関係には変わりなくやはり今も葬儀概論と「SOGI」はいつも私の傍にあります。
    「死に方を忘れた日本人」を読ませていただいた後には自分の葬儀を真剣に考える為に、子供達とも話をする事が出来るようになりました。これからの私は私に出来ることをすれば良いのだと思い葬儀に関わって行きます。

  2. [E:gawk]恐れ入ります。
    『死に方を忘れた日本人』は最も力を入れて書いたので、読んでくださったのはとてもうれしいです。最近は今一つ思考力が減退傾向にあるような気がします。そういう意味では若い方々に期待するところ大です。

コメントは受け付けていません。