原爆忌にあれこれ思う

きょうは長崎、先日は広島の原爆忌である。
65回目となる。
私の誕生の半年前の出来事だ。

世界には人類全部を殺戮しても、まだあまる核兵器があるという。
人類の未来は一部指導者の手に委ねられている、という事実。
それが安全ならばいいが、かなり危ない。

殺され、泣く人間の存在も許されない。
「現実感」がなくとも、もっと想像力を働かせていいはずだ。

「核の傘」というバランスは崩れたらそれまでだ。
たとえ報復がされてもどんな未来が残されるというのか。
一人の人間が狂気に陥った時、誰がどのように阻止する、阻止できるというのか。

日本も潜在的「核保有国」である。
核廃絶を現実的に確実に進めるプログラムが必要だ。
核による核抑止力を現実的だと説く人が多いが、泥棒に備えて枕元に金属製バットを置くとこととは種類が違うのだ。

実際には核保有大国も疲れてきている。核はお荷物なのだ。
それを安全に着実に廃棄すること、一部の核保有小国が暴走しない仕組みをどうつくるか、気の遠くなる難問だ。
これは理屈や政治的立場を超えた問題なのだと思う。

一切を無化する可能性を背負って人類はいるということだ。

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/