8月15日

8月15日
敗戦記念日
心して想う。

8月13日~16日は月遅れのお盆である。
多くのところで15日の晩、盆踊りが行われ、夏祭のピークとなる。
この盆踊り、生者だけではなく死者も一緒に踊るという。
生者と死者が心おきなく一緒に過ごす時間

死者を想う時、戦争の死者を想う時

昨夜、倉本聰『歸國』がテレビで放送された。
といっても私は帰路、音声でのみ最後の部分を聴いただけだが。
戦時中に南の島で玉砕した「英霊」が現在の日本に現れるという話。演劇のドラマ化らしい。

死者が帰ってきたらどう思うだろう?
死者を迎えるお盆

皆、あまり意識しなく考えているが
それは論理的には「死者の霊魂」ということになる。

だがこれを「霊魂」として実体化すると話がおかしくなる。
「死んだおばあちゃん」でいいのだろう。

「死んだおばあちゃんの霊魂」と言うと違和感が生じる。
もともと論理的ではない話を論理的に話そうとするとおかしくなる。

葬式で「死者を弔う」のは論理的には「死者の霊を弔う」となり、「霊を認めるのか」という議論が問題になることがある。
それ故「霊の実在」を言う宗派もあれば、「霊は不在」だがあまり問わないとする宗派もある。もとより否定する宗派もある。

でも、この議論、実はそんなに重要ではない。
遺された生者が死者に問いかける、というのは自然な作業である。それをあえて理屈づける必要はない。

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/