昨夜帰りに車のエンジンをかけたらエアコンが暖房になった。
北海道や東北北部には雪が降ったとニュースが伝えていた。
今年は全国的に酷暑が続き、ようやく涼しくなって秋だな、と思ったら冬が到来。秋があまりに短い。
秋好きの人間としては淋しいかぎり。
この間更新が途絶えたが、出る仕事と締切原稿を抱えたため。
ちょっと個人的には滅入ることもあった。
新聞や雑誌が送られてきて、取材されたということに気づく。
どこの媒体に何を話したかすら記憶に残っていない。
(これは「老化」ですかね)
ダイヤモンド誌に代表される死や葬送への、特にそこに働く人の気持ちを逆なでするような偏見、蔑視、差別の先入観からの取材、テレビは全てお断りしているが、それでもちょくちょく来る。
ライターに偏見がなくともデスクが偏見をもっているから、おどろおどろしい記事ができる。
そういった記事でも取材に喜んで出る、自称「専門家」がいるから、と断る。
自称「専門家」は乏しい知識を棚上げし、ちょっと調べたところに書いてあった根拠のないものまでも薀蓄としてしまう。
もっと時代を見ろ、もっと調べてものを言え、と言いたくなる。
そうした自称「専門家」は媒体としても使いやすいのだろう。
マーケティング出身者が葬送の世界にも相当数入ってきている。
もうちょっと中身を勉強してからものを言え、と思うのだが、ロクな勉強もせずにビジネスの新提案なぞやる。
上っ面だけをなぞった書類だけは洗練された、しかし中身がどこにある?と言いたい資料が満載。
そのうち知らないうちにこちらが苦労したデータや推論を勝手に盗んで、引用典拠すら示さない。
(学者にも多い。同じ学者仲間であれば引用、参照と書くのに、ジャーナリストの書いたものには書かない、というふとどき者が多い。まさにムラ社会だ。)
かつて介護の専門家を自称するのが「療養型病床が減り、代わりの介護施設が伸びないから、これからは在宅死が急増する」と言っていたのがいた。
在宅介護の困難さ、家族の少数化を考えれば、そう簡単にはならない。私は「難民化が進む」と言い、在宅介護を単なるビジネス・チャンスとしかとらえない安手のコンサルタントをデマゴーグと批判したことがある。
簡単に筋書きを描けない困難さが今の社会の底でうごめいている。
安易に「直葬」などという言葉を社会化したから直葬が葬式形態の1選択肢になったじゃないか
と批判されることがある。
でも言葉があったから流行ったわけでもなかろうが、こんなにこの用語が早く、隅々まで広がるとまでは予想していなかった。ま、責任は回避しないが。
家族ですら、経済的な理由ではなく、家族の死を冷淡視し、弔うことのない現象の始まりを警鐘したつもりだった。
これはもちろん「葬式をしない」「火葬」だけという形態だけを指すのではない。
「一般葬」と言われるものにも見られることだ。
また「火葬」だけにしろ、身近な人が手厚い別れをしていることがある。
島田裕巳『葬式は、要らない』は、95年以降すでに葬式の世界は個人化へ舵を切っているのに、高度経済成長期からバブル景気に至る社会儀礼偏重の葬式に対して批判しているのであって、後だしジャンケンのようなものである。
80歳以上の高齢者の死が全体の5割を超えたことを「大往生」の死
ととらえる楽観主義。
超高齢社会の現実を知って言っているのか、と言いたくなる。
「一人で死ぬ」
という言葉が流行の兆しがあるが、高齢で死ぬということは自分の死を自分では選択できなくなるということだ。
ほんの一握りの「元気なお年寄り」像を一般化することはできない。
知っている範囲で言えば、気丈でしっかりし、整理好きな女性が夫の死後、子どもたちの世話を拒んで、一人暮らしをしていた。経済的にも自立していた。その女性が文字通り糞塗れ状態になるとは子どもも認め難かっただろう。
本人の「誰の世話にもならない」という意思と計画は無残に裏切られるのだ。これは本人の心がけには関係ないことだ。
身体が動けなくなり、頭はしっかりしているのだが、表現能力が困難になるケースもある。
もし「生ききる」という言葉があるならば、そうした事態も引き受ける覚悟をもって言うべきだ。
そしてそれは何らかの形で家族あるいは他人を巻き込むことだ。
超高齢社会は日本人が初めて迎えた社会である。まだ体制も何も整っていない。
「敬老の日」で長寿を祝うというのが何とも白々しく見えてしまう。
日本人のもっていた「無常観」とは「誰もがいつどのような形で死ぬかわからない」という死の現実を描いたものである。
どうも70年代以降、日本人は、高齢化と共に幼・少・青、壮、老、それも前期老と後期老があり、その先に死がある、という観念が定着してきているように思う。
死はいつでも介入するものであるし、後期老の死でもさまざまである。老も死も軽視するなかれ。
介護者が被介護者の死で一時的な解放感を覚えたり、自分の先行きに不安を覚えたり、介護者という役割がなくなったことの空虚感や喪失感…さまざまな感情をもつだろうし、それを他人が先入観をもってかかわったりすれば齟齬が生じる。
遺族の中でも介護に携った者とそうでない者とでは感情に差が出る。
介護しなかった者が介護した者に「もっと…できなかったの」と怒ることもある。親の喪失と介護に係れなかった自分の悔い、申し訳なさが、本来は感謝すべき肉親への怒りの暴発となるのも葬式の一つだ。
批判を覚悟で言えば、葬式仏教は一部の数字に魂を売った自称専門家、著者、編集者といったジャーナリストの犠牲になっている構図です。
昔のジャーナリストは誇り高かったし、プライドがあったし、尊敬の対象でもあった。
いつも自分の発する情報には自己批判の検証の目を向け世に出したものだった。
まさに今は日本の精神文化の危機と言えましょう。
その構図はやっていることは別でも、彼らが批判の矛先を向ける一部の堕落した僧侶と質は一緒です。
社会の良識人はけっこう冷静に見てます。
一部の戒名料と印税に魂を売った僧侶とジャーナリストはいずれ淘汰されます。
私もいつぞや堕落側に組み入れられるか分かりません。魂だけは売らないように注意していきます。
TSさん
久しぶりの更新に早速反応いただきありがとうございます。
あの太平洋戦争を振り返っても軍部だけの責任ではなく、民衆を煽ったマスコミ、それを扇動したジャーナリスト、知識人がいました。その責任は大きいです。
今日、情報がさまざまな形で伝わる時代、マスコミ等の偏見、差別意識が寺や葬祭業者攻撃に力を貸していることは事実でしょう。
私も今では親しい現在関西学院大学教授で本願寺派僧侶の大村英昭先生に「東京発無仏派情報の氾濫」と批判されたことを思い出します。おそらく私もTSさんの批判の対象の一人でしょう。
しかし、戦前戦中、一部の宗教者を犠牲にして、既成宗教の教団は国家に魂を売ったのです。キリスト教も仏教も。
今日、「葬式仏教」はさんざん揶揄され、翻弄されていますが、それに対して「俺はこうしている。悪いか」くらいの気概と意地をもつ僧侶がいていいと思います。
太平洋戦争の戦争加担の後、教団人の言い訳は「本意ではなかったが教団を守るためにやった」とむしろ開き直りのようなものでした。無残でした。
一部には抗した宗教者がいました。だがその人らを守るのではなく、破門、異端扱いしたのです。
情況は違いますが、被害者意識ではなく、論理だてて抗する個の宗教者がいていい。いや実際には結構いるのですが、教団が全くといっていいほどサポートしない。
われわれはマイナーな雑誌ですが、そうした意見を発表したい、というならば、いくらでも喜んで誌面を提供します。