ハカはいろいろ

ハカ(墓)についても要る、要らないの議論があります。
葬式の要る、要らないの議論の後に出版社が連想ゲームのように仕掛けたものですが、90年代の墓の大きな変化の動きの後追い紹介のようなもので、なんとも気が抜けたものです。

死者の身体である遺体を葬るには大きく3通りあります。

その一つは土葬です。
遺体を土を掘った穴にいれて、土を被せて葬るのです。その上に埋葬された死者の名前を木や石で刻印されます。
これが墓(ハカ)です。
土の上の木や石は誰が埋葬するかを示していているだけなのです。
木ですと朽ちるので永続性はなく、石であると半永久なものになります。

2番目は風葬と言われるものです。
これは大きくは遺体を自然の中に置き、葬りを自然に委ねるというものです。
中世までの日本の墓は、土葬と風葬が多かったようです。
でもその差はさほど大きなものではなかったようです。
風葬でよく知られるのに霊山と言われる地に遺体を置いてくる。あるいは海岸線の人であれば海に面した洞窟などに遺体を置いてくるものです。
チベットの鳥葬も風葬の一種かもしれません。遺体を鳥が運ぶ先は天であるとして「天葬」と言われることもあります。また森の木の上に箱に入れて葬る形態もあるようです。
霊山の麓などに置かれる遺体も通常の動物の自然界での死と同様に自然に還元されていくことをある宗教的希望によって行ったものでしょう。ですから「死体遺棄」と形態的には類似していますが、「遺棄」と「葬り」には違いがあるというべきでしょう。

沖縄では大きな壺に遺体を入れ、遺体が自然に骨化するのを待ち、数年後に骨になった遺骨を洗い、再び骨壷に入れて葬る、という二重葬を取っていました(最初を「一次葬」2回目を「2次葬」)。
欧州でも土葬した遺骨を集め、改めて葬る二重葬はそう珍しいものではないようです。

3番目は火葬です。
明治維新で「火葬は仏教式葬法」ということで一旦は禁止されましたが、すぐ認められました。
火葬はかつてのローマ帝国では「異端者の風習」と唾棄され、カトリックに禁止された行為です。
インドなどアジアでは早く浄化されるものとして古くから採り入れられました。仏教の伝播に付き従うように火葬も広まっていきました。

日本は「火葬国」と言われますが、それは大都市と戦後においてのことです。
火葬は記録的には700年の僧道昭が最初の例ですが、実際には5~6世紀にすでに行われたようです。
といっても今でこそ日本は99.9%の火葬率ですが明治の半ばでは30%未満、近代以前は土葬・風葬がむしろ多かったのです。
火葬は多数の木が必要だから、と火葬は民衆には手を出せない葬法でもあったようです。

 明治末期に世界的な感染症流行の恐怖から日本では伝染病予防法ができて火葬が奨励されるようになりましたが、火葬率が6割を超えたのは1960(昭和35)年以降のことです。

 世界的に火葬が遅れた要因は、欧米ではカトリック教会が反対していたという事情もありました。また近代になると火葬施設をもたなければいけない、という課題もありました。
 1970年代になるとカトリックが強かった地域でも火葬が多くなりました。1962~65年の第2バチカン公会議を経て火葬が容認されたことで各国で火葬率が大きく上昇しています。今や火葬は近代葬法となっています。

火葬された骨(焼骨)を砕いて山野海に撒くのが散骨。
欧米では火葬された焼骨は散骨できるように砕かれて骨壷に入れて戻されます。日本やアジアでは遺骨はできるだけ人体の原型を留めるようにされます。

「遺骨」に対する感覚の違いは日本内でも見られます。
関西では死者の霊魂が宿るとされる本骨(ノドボトケ、実際には軟骨なため火葬時に溶解するので第二頚堆がそれと言われる)を中心に拾骨されます。
九州で体験したのは各部位の代表的な部分を拾う部分拾骨でした。東日本では全骨を拾います。
従って大きく骨壷は小、中、大とあります。

火葬となることにより墓というのは位置づけを少し変えたように思います。関西の本骨中心となるともはや葬りというより記念碑的な性格を強めたように思います。

土葬時代は主として墓は個人墓ですが、焼骨になるとグループ単位になっていきます。明治末期に火葬が推進されたことと、「家」を基盤とする明治民法により「○○家」という墓が出てきて昭和の上半期までに大流行を引き起こします。(しかし北陸には村人が一緒に入る惣墓もありました)
しかし戦後に明治民法が改められると、墓は「家」単位から「核家族」単位となり、90年代以降は承継の永続性の問題と環境・自然保護の観点から多様化してきています。

日本の調査で判明しているのは、すでに入るべき墓地や納骨堂がある、と回答しているの人が7割います。変化は3割で生じ、また遺体は腐敗するという問題がありますが、遺骨となると腐敗進行はないので、死者が増えても即墓需要が高まるわけではありません。一時収容してくれる納骨堂もあるし、家族が家に置いておくことは不法ではないのです。急ぐ要因はないのです。

90年以降の変化は、①家単位ではない永代供養墓(合葬墓・合葬式墓地)、②遺骨を細かく砕き海山等に撒く散骨(自然葬)、③山や森を墓地として許可された区域、墓地内の特定エリアを掘り遺骨を直接・間接土中に埋め、その地に花木または植えたり、桜等の木の下に埋め、個々には朽ちない石等を置かないのが樹木葬―と多様化しています。

欧米には遺体を棺に入れたままにして葬ることもあり、これらの柩が多く安置されている場所もあります。大理石等の時代とともに風化しない固形の棺をロッカー式に収納した形態は、火葬後に骨壷に入れられたまま収納されている納骨堂と似た感じがします。
また現在の墓はかつては下が土になっていて骨壷から出して遺骨を収納する家族合葬型だったのが、墓石の下に骨壷単位に収納するコンクリートで固められたカロートがあり、そこに個人別に収められています。
これらを見ると「葬る」というよりは遺体や遺骨を「収容」する施設のように感じられます。

日本の墓地でも骨壷収容・カロート型が多いのは戦後の特徴で、東京の古い寺墓地の昔の墓石の下は土になっていて骨壷からあけるタイプがまだ残っていますし、地方では骨壷が入らないようにしているところもあります。

墓地には今は寺院境内墓地、公営墓地、民営墓地とあり、民営墓地のほとんどは宗教法人経営のもので、一見しては寺院境内墓地と民営墓地の境い目がわかりません。
また、戦前では地域の共同墓地もありますし、家の敷地内の屋敷墓というのもありました。これは新設は認められませんが、使用している限りは現在も使えます。

「墓」というのはとかく特定なイメージをもちますが、実態はかように多様なので、また各々はその多様性に気づいて議論しているわけではないので、とかく墓地論というのはおかしなものになりがちです。

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/

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