ダイヤモンドさん、またですか!

昨夜、週刊ダイヤモンドがまたやっていると聞いたので、今朝駅の売店で購入しました。週刊誌で690円というのもわれわれと同じくいい値段している。ま、丁寧に批判しようと思うが、まずは昔の批判記事から
https://hajime-himonya.com/?p=1283

皆が気になるなるであろうランキングの基準上の問題から取り上げよう。

頼んでみたい「葬儀見積もり番付」

なるほどというところもあるが、「ワンデイセレモニー」なる芳しくない葬式を流行させた
(その理由は
http://www.nikkeibp.co.jp/style/secondstage/manabi/ceremony_090508.html

に書いている)
企業が、「ソフト力賞」に輝いたのは「識者」と言われる人の公私混同か?
やはり中立的な立場の人が選ぶ必要がありますね。あるいは自分の関係しているところは推さないとかの見識が必要です。ダイヤモンド自体が公私混同の雑誌なのかもしれませんが。

ダイヤモンドさんはファックスがお好きなようで、ファックスでは見積もりできない、「会ってなら見積もりOK」では大幅減点なのですね。これだけ「わがまま」つまりは多様なニーズなのに
「家族5人による葬儀と、30人参加のお別れ会を総予算100万円で行いたい」
だけでの見積もりなんて無理です。

宗教すら決まっていないのだし、遺族の希望もこれぽっちの情報では回答できません。相手もわからず提案もできません。
私なら安易に答えないほうを高得点にしますが。
ニーズもわからず「納得度」なんて計れるわけないじゃないですか!

中には「弔事向け料理の提案」など、何を言いたいのかわからない項目もあります。
葬祭業の皆さん葬式や法事での料理の手配くらいできます。できないでこの仕事はできません。いい料理屋さんを紹介してくれているのかを知りたいでしょうが、こんな調査ではわかりませんし。
あるいは地元の企業を潤すことを目的に、あえて料理の注文は料理屋さんに直接頼ませるところもあります。これは何ら減点になるようなものではないでしょう。直接頼んでもらうなら遺族の自由度を広く認めていることになりますし、疑われるようなマージンをゼロにして、お客に還元できますので。

「生演奏の用意可能」?

地方にいけばいくほどこれは可能です。何せ音楽大学卒業生はたくさんいますから。
地方は捜す範囲も狭いので、その気になればできますとも、ほんとうにやってほしかったら。
この場合のお別れ会まで日にちがあるので楽勝です。また互助会系は普段ブライダルで演奏者を使っていますから問題ありません。もっとも私はキース・ジャレット(同学年になるジャズピアニスト、作曲家)のCDのほうが好みですが。

個人情報

個人情報は大切です。個人情報についての基本方針を明らかにしているか、であれば普遍的問題です。
しかし識者の一人、先ほどの識者と同じ人がいくらその認証を仕事にしているからといって露骨すぎませんか。
「第三者による個人情報保護認証」をその識者がどういう方法でやっているのか訊きたいくらいです。
いいかげんな団体による認証などないほうがいいです。「やっている」という自己弁明になってしまう恐れがあります。

こんな程度の調査でよく納得度ランキングなんて作れますね。
高評価された企業もこんなので喜ばないように。
そもそも「お別れ会」は新しいもので、「お別れ(の)会とはこういうもの」、なんて決まっていないのですから、「したい」と言ってきた人の話を聞かないで、どうしようとするのですか。
この調査が見識がないのは、お客無視だからです。そのうえ何か偉そう。イヤだね。

もう少し内容に入り、
序章から

「序章 変貌遂げるエンディングの姿」
ま「変化した」「変化しつつある」というのが普通の日本語だろうが。

例は20人程度の家族葬をしたいと小さな会館を選んだが、実際には思ったより死亡した本人の知り合いが多く来て100人になり料理が足りない、会葬者から外で待たされたとの不満が出た、という例。

子どもが親のこと、関係者を知らなさすぎで起こる問題。ここまで極端かどうかは別にして、「家族葬」といっても、予想以上の会葬者があることは少なくない。
「葬儀は初めての経験」という人は少なくない。一般に身近な人の死は9~10年に1回、喪主となるのは25年に1回程度と言われる。
しかも精神的に動揺しているときの体験だから記憶にあまり残らない。ダイヤモンドさんが出した事例は少々極端な例ではあるが、これは葬儀社の問題ではなく喪主の問題なのだ。

その後の文章が変。
「だが、後悔はこれだけではなかった。全てが終わり、ホッとした気持ちで精進落としを迎えた日のことであった。
男性は、葬儀社の担当者から手渡された請求書を見て愕燃とする。」

こりゃ変。「精進落としを迎えた日」とはいつのこと?

昔で言えば、さらに禅宗では、四十九日を過ぎて精進落としをする。しかし約40日も葬儀の費用の請求をしない葬儀社はいないだろう。
東京では葬儀当日に、火葬後に遺骨を安置しての法要に続けて初七日の法要を繰り上げて行い、その後の会食の席を「精進落とし」「精進上げ」と言うことがある。そうしたら葬儀の当日である。

なお、この法要の後の会食の席については全国共通の名称はない。
あえて言えば「法要の後の食事=お斎(おとき)」である。事実、長野や東北では「お斎」と言う。
神奈川では「忌中払い」が多いという。
大阪は文字通り「仕上げ」である。
地方により「忌中引き」という地域もある。

こんなウンチクを披露したのは書いた人間のレベルが低過ぎるからだ。ここは日を改めて初七日当日にでも法要をし、その日に「精進落とし」の会食をしたのだろう、と好意的に珍しい例と解釈しておく。普通は葬式の翌日に自宅を訪問し、請求書を渡し、見積書との異同は丁寧に説明し、支払い期日を設定するものである。

「なんとそこにはセット料金として葬儀前に聞かされていた2倍近くの料金が書き込まれていたのだ。おまけに僧侶に払うお布施と、料理店に支払う飲食代金は別となっている。」

オイオイ!よほど変な葬儀社につかまったものと見える。あるいは喪主があまりに無知でなので確認も事前に行っていなかったのか?

ここで言われている「セット料金」てなんだ?

そもそもダイヤモンドさんは葬祭企業の料金構成をご存知ない。
「祭壇料」というのは今では珍しくなったが、祭壇そのものの費用ではない。
今は「基本葬儀料」と言うように私は勧めている。
なぜならば、葬祭業者の提供するサービスの6~7割は物品料ではなく、役務サービスである。
問題は提供する内容が変化しているのに、相変わらず「物品」の項目で価格体系を構成していることで、今求められているのは価格体系の標準化である。
ホテルで言えばカプセルホテルと帝国ホテルをごちゃにして比較しているようなものだ。

多くの場合、「セット」は基本葬儀料の違いで表現されている。そのほかはオプションであり立替費用である。
式場は自社保有の場合も借りる場合もある。借りるならどういうところがいいかは業者は示してお客に選んでもらう。自宅でするオプションもあるのだ。
また自社斎場(葬儀会館)を会場にしても「式場使用料」は1件あたり10~20万円かかる。それを「式場使用料0円」としているのは他の項目のどこかに入れているのだ。また、自分のところでいったんつくれば自宅葬のほうが高くつくので「式場使用料0円」と言って誘導することもある。
もっとも選択するのは消費者である。

会葬者が増えること減ることで変化するのは「変動費」と呼ばれる。具体的には返礼品や料理の費用。見積もり段階と実際の親族数や会葬者数が変われば請求書でここが変わる。
いくら消費者が素人だといっても返礼品はお茶・ハンカチ等の物であるからよくわかる。料理だってごまかせない。
その証拠に今や拙いお茶(料金なりに)であれば文句はすぐくるから地元密着型の葬儀社ほど気にしている。

業者が請求書と見積書で変わるのはここ変動費だ。
また会葬者が増えると案内要員も増えるかもしれない。
これはみな説明がつく。

説明がつかないのは「総額方式」をとっているところ。
それこそ「参列者20人で一式50万円」とかしている場合である。「お客は素人だから」と乱暴な見積もりをする。
この場合、参列者の増減により費用はどう変わるか事前に明示していないと、それこそ重要事項を示さなかったと消費者契約法違反である。
さてさてダイヤモンドさんは何を言いたいのだ。

僧侶等の宗教者への謝礼はそもそも葬祭業者が請求する筋のものではない。これは事前にはっきり言っておくべきこと。常識だが、常識だということがわからない消費者もいるし葬祭業者にもいるのは困ったものである。

お墓の「改葬」についても取り上げている。
例えば首都圏の郊外墓地から都心のミニ墓地への引越しもある。
だが問題の中心は地方の墓地。
田舎に住む人間がいなくなり引っ越してくるケース。
過疎地は人間だけではなく墓地も過疎化している。
改葬するのはまだよい。実態は放たらかしが多い。

こういう記事を見ていると、匿名の関係者の発言が多いことに気がつく。
言っていることに責任がない。私は匿名の関係者の発言は書いた記者の認識として見るようにしている。

批判してはダイヤモンドさんの営業の力になっている気がして空しいが、
おかしいことはおかしいと言わねばならない。

 

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/

「ダイヤモンドさん、またですか!」への4件のフィードバック

  1. >「序章 変貌遂げるエンディングの姿」
    ま「変化した」「変化しつつある」というのが普通の日本語だろうが。
    人びとから変化を切望されながら、なかなか実現しなかった。それが「近時やっと」という場合、「変化を遂げる」にはそのニュアンスが感じられますね。変化自体を(それを期待する方からみた)結果と見た場合自然な用法です。
    単に「変化した」「変化しつつある」では、素っ気なくてこのニュアンスは伝わらない。ただ、従来から葬儀業界に身を置く立場の人たちからすれば、近時伝えられる葬儀の多様化、低額化の状況に「変化を遂げる」という言い方は不自然になるのかもしれません。
    ネット検索で「変化を遂げる」は、かなりヒットします。変化が予想された結果である場合もあるかもしれません。
    ダイヤモンドの場合は、まだ読んでないので言及できませんが…
    「精進落とし」もウィキペディアに載ってます。
    文面での例が最近多くなっているのか、まだ「珍しい」のかは、実際に施行されている葬祭業に携わる人たちにお聞きしたいところです。喪主や親族が遠方から集まるうな場合も現在では少なくないような気がするのです。
    >おかしいことはおかしいと言わねばならない。
    この言葉に甘え、書き込みました。
    葬儀に関する異見の方は控えています。

  2. 度々読ませて頂いています。
    様々なご意見をブログの中で書かれていますが、「葬儀社が消費者から料金を頂く」この点において、葬儀は文化でなくビジネスで在ると言うことをはっきりと認識しなければならないと思います。消費者にとって、葬儀社の都合など一切関係ないのです。お金を払う代わりに様々な、時にはわがままな要望に答えるべく事業を行うことが葬儀社の役目だとは思いませんか?「文化」や「歴史」、「こうあるべきだ」などということは、利益を得る中で言うべきことではないとは思いませんか?
    葬儀のトレンドは、消費者しか決められないのです。現在、通夜を行わなくても良いと思う消費者が居ればそれはまぎれもない真実であり、そうなってきた理由は葬儀社にある。
    葬儀を見る視点が間違っているとしか思えない。長くこのブログを読ませて頂いたが、あまりにも着眼点がおかしいとしか言いようがありません。
    以上読者の意見です。

  3. 蜆さん
    お久しぶりのコメントありがとうございます。
    「変貌遂げる」にそこまでの深読みをしませんでした。
    「精進落とし」ウイキペディアにありますね。読みましたが、最近の事例は東京の方が書いているのでしょう。例はつい最近の事情、東京大田区の臨海斎場などの変化も取り上げてますね。最近の事情に詳しい方が書いているように思います。
     但し、葬儀後の会食というと、東京以外ではさまざまに言われますので、標準語として定着しているわけではないのです。
    読者のお一人さん
     遺族がその都度どうしたいか決めるべきでしょうね。その時、ちゃんとした情報に基づく選択であればいいでしょう。
     葬儀で「消費者」が真の意味で登場して15年くらいでしょうか。「消費者」という機関があるわけではないですね。傾向としてどうか、ということはわかりますが。
     例えば「家族葬」は今は各社がアピールなさっていますが、こうした小型化、近親者中心の葬儀の希望は消費者というか、そうした希望に後追いで葬儀社が対応した、と言えるでしょう。
     消費者が決めるのは自分が当事者のときで、それ以外は別の当事者の方が決めるのでしょう。消費者の選択権が保障されるべきは確かでしょう。
     葬儀がビジネスであるのは葬儀社に遺族等の消費者等が依頼するときに、遺族も消費者になり、葬儀社等もビジネスとしてやる、という関係だけを言っているのです。そういう意味ではあたりまえのことです。
     しかし私のような文化を考えている人間からすれば、そういうことも特徴として見るのですが、常に特定でしかない消費者万能主義はとりません。それはその葬儀社が消費者をリードしたいのだろうな、としか読めません。
     私は「読者より」などと不遜に皆を代表しているかのようなのは嫌いです。ペンネームでも結構ですから、ご自分はどう思われるのか、と意見を書いてくださればそれなりに対応します。
     私もピンで書いているのですから、ピンで意見を言ってほしいです。

  4. 「読者より」様。
    横から失礼します。
    >「葬儀社が消費者から料金を頂く」この点において、葬儀は文化でなくビジネスで在ると言うことをはっきりと認識しなければならないと思います。
    浮世絵などの絵画や歌舞伎、文学などビジネスであれば、文化ではないという流れはいかがでしょう?
    同じ疑問が次の文章にも感じます。
    >「文化」や「歴史」、「こうあるべきだ」などということは、利益を得る中で言うべきことではないとは思いませんか?
    疑問形ですが、断定口調な気配がします。
    「こうあるべき」という言説には私も批判的ですが、「利益を得るから」というのでは一人の消費者であり読者である私には賛成できません。
    着眼点がおかしくなります。理由は上記と同じです。文化とビジネスは両立可能であったし、今もこれからも同じだと考えるからです。
    利益を得ずにするべきであるなら、行政の拡充の一環として行うべきであると思います。
    行政サービスの中で福祉に関するところは利益を求めてやるべきではないからです。
    この点で、火葬料金を民間業者の利益のために値上げせよとの言説には怒りを感じています。
    葬儀のお金がないための死体遺棄事件が毎年のように発生しています。この中には、同居の家族による事件は新聞に載ります。しかし、身寄りのないとされる独居老人の死亡も含まれるのではないかと想像しています。
    案外心配している親族などはいるにはいるのだけれど、介入すれば高額な金額が必要になるのではないかと心配している人はいないのか?
    上は私の想像上の心配ですが…不況高齢化の現在、福祉行政の拡充を望みます。
    >葬儀のトレンドは、消費者しか決められないのです。現在、通夜を行わなくても良いと思う消費者が居ればそれはまぎれもない真実であり、そうなってきた理由は葬儀社にある。
    「通夜を行わなくても良いと思う消費者」を葬儀社のせいのように書かれているのは、「通夜は行わなくてはならない」という観念があるのでしょうか?
    もしそうであれば、「文化」「歴史」を理由に「こうあるべきだ」という流れに近づきませんか?
    選択肢が増えたのは、葬儀社のせいでもあるが、おかげでもあります。葬儀を考える人が増えたのでしょう。私には葬儀に自由な価値(=文化的価値観)を入れる進んだ流れに思えて仕方がありません。
    それぞれを尊重すべきであり、自らは自らの葬儀をすれば良いと思います。
    以上関係のない人間からのレスポンス失礼しました。

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