疲弊する被災地

震災が起きたのは3月11日、そしてきょうは3月31日。
まだ現地では多数の遺体が葬られず遺体安置所にある。
これから瓦礫の下から発見される遺体が毎日少しずつある。

遺体の状態はさまざまである。
思いもかけずきれいな状態で発見される人もいる。

身元が不明な遺体もあるが、家族はいなくとも近所の人がこの人は誰と教えてくれるケースも結構あるという。
都会と違い、その点は地域社会が生きている、ということを感じさせる。

葬祭業者も経営者もろとも津波にさらわれたケース、建物が半崩壊し、動くに動けないケース、普段は競争相手なのが一緒に組んで非常事態にあたっているケース、放射能の危険から逃げ出したケース、さまざまである。

被災地を同じ被災した業者が救援活動に入っているケースも少なくない。

救援の難しさは、被災地から見ると「戻れる者」とそうでない者との違いが露わになるところがある。
救援する者の中には宿泊地、費用の弁済があるか、と心配する者がいないわけではない。
若者はもっと現地に留まりたいが、年寄りはどこかでけじめをつけて帰ってこい、と言う。

救援の仕事には波がある。事態は刻々と変わる。

公の要請がないと動けない、と言う者、必要があるから行く、と言う者。

ある時は集中し、ある時は長期戦に備えた持続ある救援を、とその時々に合わせた活動ができるといいのだが、難しい。

現地では「負担」ではなく、しなければいけないこと、どうしようもないことが、救援部隊はこれだけやった、たいへんだった、これ以上の負担はできない、と言う。
ごくごくあたりまえだが、逃げようがない現地では、苦笑いして「ありがとう」と感謝するしかない。

結果が見える闘いはいい。目的があるからだ。だが、この見えなさはなんだ。
疲弊する現地を遠くから見るだけ、というのもはきつい。

直後は燃料がない、何がない…からたいへんだ、と言うのだが、それが回復しても、また別のものがないからたいへんと言う。
たいへんだから応援に行くのに、と思う。

死者行方不明が2万8千人以上。
3月31日18時段階での警察庁の調査では死者11, 438人、行方不明16,85 4人、計28,292人。
瓦礫や水没地にはどれだけの遺体があるかわからない。

死者・行方不明者は、日々増え続けている。

生きている者の救援が先だ、というのは緊急災害でよく言われることだが、そして今回は生き延びた者がまだまだ不充分な状態にあるのだが、死者の救援も劣らず大切なことだ、と言わねばならない。
それに孤立して携っている人の嘆きを大切にしなければならない。
救援に駆けつけてくれる人には敬意を、被災地で逃げずに活動している人には愛を捧げるしかない。
みんな自分自身の身体も少しは労わってくれ。

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/