福島第1原発の10キロ圏内に

福島第1原子力発電所の事故の危険度は最高のレベル7となっていることは保安院が4月12日に発表した。

だが、発表前の3月末日段階で、安全委員会も保安院も既にレベル7に達した、との見解をもっていたようだ。
保安院はチェルノブイリの10分の1であることを強調しているが、危険性が緩和されているわけではない。
次の見通しを得るまで、1カ月はかかるだろう、とのこと。
20キロ圏内は立入禁止区域となっている。地震にも津波にも大きな被害に遭わなかった圏内の住民は、早期の立ち入りを願っているが、一時立ち入りを認める方向のようだが、それも1カ月先くらいのようだ。

前に20キロ圏内に多数の遺体が放置されている、と書いたが、現地情報では防護服の着用ではあるが、福島県警の警察官が10キロ圏内にまで入って少しずつ遺体の収容作業を続けているとのこと。
職務とはいえ、現地の人たちは逃げずに仕事を続けている。
収容後に遺体は、除染した後、遺族に引き渡され、すでに稼動している現地の火葬場に搬送されて、火葬されている。

そうして発見された身元不明遺体を3体火葬するために搬送しようとしたら、1体の身元が判明、その日送る予定が1体減少、と連絡し、1台要請解除したら、もう1体見つかってまた要請し直し、というドタバタがあるようだが、現地の葬儀社は怒るでもなく、1体の遺体の身元が判明したことでホッとしている、という。
ここには日常のルールはない。遺族も作業している人も同じ呼吸をして動いている。

このくらいの規模の災害になると、「常時のルール」がどうかというよりも「非常時の対応」が求められていた。現地の被災者も被災地で動いていた役所、警察等もそうである。

他地域の支援部隊は、常の世界から入るから、「出動要請状」や「許可車」にこだわり、その事務局では「正式」な事務手続きを求め、結局のところ現地に違和感を持たれ、「正式要請」は見送られる。
現地では「非常時」であることを当然としている顔見知りに依頼する。大きな団体より頼める人間にである。頼まれたところが手に余ればそこが自分がよく知る人たちに声をかける。

県の担当者も顔見知りであれば相談をもちかける。最初は遠方の助っ人であっても、一度信頼を得れば情報や活動が流れる。
非常時には組織だけではなく、そこに人間関係が築けるかが左右するようだ。

仏教会も今回は大きな働きをしているようだ。
避難所となることを引き受けた寺院も多く、そこを拠点に地域での活動を展開する。被災した寺院であれば、それを復旧しに入り、その寺院だけではなく、その地域の活動に拡げる。
遺体収容所の遺体への読経も最初は担当の警察官から不審視されたこともあったようだ。彼らはどこからの要請で入ったわけではないからだ。でも静かに1体1体に丁寧に読経していく僧侶の姿を見て、次第に受け入れていったようだ。

「寺離れ」が言われているが、被災地の寺、神社、教会は「地域にある」ということがいやがおうでも意識されたようだ。

青木新門さんは74回目である4月10日の誕生日、「桜の木の下で考えた。このままの生き方では駄目だと・・・・」と、新門さんらしい決意をする。その記念が「即日禁煙」であった。12日の日記では「三日坊主」の苦しさを書いているが、かつてよく会って呑んでいたおり、自分のタバコが切れると「ちょっと一本」と催促した姿を知るものとしては苦しさが思いやられる。
誤解のないように書いておくと、新門さんにとって大切なのは「生き方」の問題の決意で、禁煙はその記念にすぎない。だから、私は新門さんの禁煙が失敗してもなんとも思わない。もし禁煙が成功したら「この裏切り者」と思うかもしれない。

そのタバコの生産がうまくいかず品薄状態になっている。東北は田舎町のイメージがあるが、東北の被災で米・野菜・魚だけではなく、自動車生産もタバコも思うようにならなくなっている。

被災地に住む同級生の消息を探しにK君が被災地を回り、避難所を巡り調べてくれた。避難所に数人いて、みな確認した、とのこと。

今朝共同の記者と話していて、日常あまり付き合いのない親類、友人が沸きあがってきた感じがする、と話した。企業とかそうした関係でなく、利害のないプリミティブな関係のほうが気になるように思うのは私だけであろうか。
私も今回ほど、自分が「東北人」であることを強く意識したことがない。

K君の話では、「三陸とか太平洋沿岸の地域を実際目で見て声を失った。だからそれよりはましだということで自分の家の被害に沈黙している者が内陸部にたくさんいる」とのこと。
余震が続く。彼の妻は毎晩寝巻きに着替えず、いつでもそのまま外に出られる状態で寝ている、とのこと。このストレスは半端ではない。

地震の専門家がこの「余震」(M7くらいでも)が後3ヶ月という期間ではなく、後1年という幅で続くだろう、と話していた。ここ東京でも1日に3回くらい揺れが感じられる。外国人が逃げるのもわかる気がする。

被災原発の周辺住民は3年は帰れない、と言われたそうだが、10年単位(中には100年と言う人もいる)とする見方が多いようだ。
原子力安全委員会の議論では、「慎重」を主張する人に「1千年に1回」のようなことに対応するのは非効率、という意見が主流を占めていたらしい。
今回の事故は、もっと初歩的な安全管理もできていなかった。
これで東電は自力での経営継続は不可能になった。
多くの土地で農業が制限されるところもある。農家から農地を奪ったら、漁民から漁業を奪ったら、金銭の補償で解決するわけではない。

原子力の平和利用に係った数人の学者からは反省の言葉が聞かれるが、原子力開発を進めてきた自民党の政治家から何の不明を詫びる言葉がないのはどうしたことか。今、政権にいなくとも、長くこの政策を推進してきたのは自民党ではないか。
先ず不明を恥ずべきである。それがないのは政党としての倫理的頽廃でしかない。

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/