毎日新聞によれば(岩手県版)
http://mainichi.jp/area/iwate/news/20110418ddlk03040007000c.html
東日本大震災:23人の合同葬儀、遺族ら1000人参列--野田 /岩手
野田村の村立野田小学校体育館で17日、東日本大震災で亡くなった村民23人の合同葬儀が営まれた。祭壇には遺骨を納めた箱が置かれ、遺族をはじめ約1000人の参列者が犠牲者の冥福を祈った。
小田祐士村長が「村民が安心して暮らせる村にすることが亡くなった方に報いる道になる」と弔辞を朗読。伯母の柾屋トキさん(76)を亡くした村遺族会会長の米田忠一さん(60)が「遺族はこれからが大変。死者の生前同様、遺族のことも支えてほしい」とあいさつした。村内の犠牲者は28人。ほかの5人の葬儀は既に遺族によって執り行われている。【吉井理記】
とある。5人が自分たちでして、残りの23人が合同で葬式を営んだことになる。1千名と言えば、この村の生き残って、現在地に留まった人のほとんどが参列したことになる。
阪神・淡路大震災のときもこうした合同葬が区単位で行われた。被災者が家族の遺骨を胸に参列していた。
一昨日から昨日の午後まで神戸に行ってきた。
阪神・淡路大震災の場合はまだ皆寝ているとき、直下型なので、急に身体が浮き上がって天井につきそうになった人、タンスが倒れ下敷きになって出るのに困難を極めた人、の話を聞いた。
「一瞬何が起こったのかわからなかった」と話していた。
「3年で復興と言われたが10年はかかったし、まだその傷跡が残っている」という。
今回の大震災の復興は阪神の倍ではきかないだろう。
おそらく国民はこの負担を10年とでも区切っても、負担を共有しなければならない。
口では「かわいそう」と言い、税負担を拒むのは被災地を見捨てることだ。「減税」などと、ここでも言うのは、それは被災者にはそうだが、共に負担すべきは負担する、という合意を早く作る必要がある。
「復興」という掛け声が経済学者から声が出ているが、人の死、家族の死、ということが、「ご冥福を祈ります」という枕言葉で終わらせてはならない。
死者を悼む…これが抜けた作業はどこかで危うさをもっている。
この大震災の教訓とか問題点の分析はまだ早い。
現場はまだ続いている。
福島原発20キロ圏内の遺体収容に自衛隊2500人規模が投入されたようだ。