原発事故の南相馬市にチェルノブイリでの支援に立ち上がった鎌田實医師、高橋卓志住職のコンビが入っている、という。
多くの僧侶が持続的支援の体制に入っているという。
この「持続性」が求められているのだろう。
ラジオでサザンの桑田佳祐さんが「激励の言葉に違和感がある」というようなことをポツリと言っていた。
今はどこでも「激励」が流行っている。
善意であることはわかるが、ちょっと重い。
もっとさりげない共感の示し方がないのだろうか?
高齢の商店経営者が店の復興について絶望的に語るとき
婚約者と携帯で最後まで話して安否を気遣ったまま別れたとき
胸に抱いていた幼児を津波にさらわれた若い母親に
どんな励ましが有効なのか。
どんな復興のビジョンがその絶望を埋めるというのか。
「負けるな」という言葉が空回りしていないか?
きょう神戸で震災を経験した人々であろう。
募金を呼びかけていた。
確かにリアルに必要な支援だ。
誠実な人がたくさん見られる。
神戸で見たときは素直に「ありがたい」と思った。
でも、今の風潮、少し「励まし」で熱心すぎないか。
もっと静かな言葉がないのだろうか?
しかし、それにしても政治の世界は醜悪だ。
今の事態も政局に利用しようとする輩が暗躍どころか表に出てきている。
彼らがどう変えようとしているのか。
彼らに何ができるというのか。
小沢という政治家はもともと好きではないが、東北出身の彼には政局にするのではなく、地元民への情が何よりも優先すると期待していたが、政局が優先するのか。そんな程度の地元意識なのか。
みんな当事者であることから逃げて、当事者じゃない立場から勝手にほざいている。
「忍耐深い東北人」なんて誉め言葉ではない。
そうであることを強いられてきた歴史があるのだ。
「復興」は政策的には確かに必要だから、それを否定するのではない。
だが、戻ってこない死者のこと。
喪われてしまった暮らしのこと。
もっと「戻れないもの」のことを考えてもいいのではないか。
そのことを胸に抱えている人々の想いを大切にしていいのではないか。
そんなことを思っている。
私は碑文谷さんの今回のご意見に非常に勇気づけられた想いのする一人です。今回の震災が起きた後、暫くは被災地の事を想い、心の動揺が抑えられませんでした。私の妻が南三陸町の出身です。彼女の両親は若くして他界したため同地には住んでおりませんでしたが、妻の兄が内陸部の方で居を構えております。ですから妻の実家は誰も住んでいませんでしたが、親戚は海沿いにたくさんおりました。
震災後の情報が錯綜する中、伝わってきたのは親戚のおばさんが波にさらわれ行方不明、妻の友人は何名も津波の犠牲になったという事でした。テレビの映像が青春時代を過ごした南三陸町の町を瓦礫の山と廃墟と化したその姿を映しだし、妻は獣のような慟哭を繰り返して、暫く廃人のようになってしまいました。
震災からひと月ほど経った頃から、色々なブログに「グリーフ」の文字が目立つよううになってきました。私もブログを書いているのですが、葬儀関係者やエンバーマー、納棺師などの方から日本の被災地に対する対応の遅れを指摘する声が山のように上がってきております。しかしどうしてもその声を素直にはうけとめられません。私も葬祭業に従事して18年ほどになりますが、知識や学のある方ほど被災地の方へ「あぁすればいい、こうすればいい、こうしないのはおかしい、変だ!」と指摘します。
しかし突然の別れの死を知識や学などの机上の理論でそんなに簡単に片づけてしまえるモノでしょうか?例えば交通事故死や自殺などの死も、今回の震災による犠牲者の死と同様の心の動揺があると思えて、答えを割り出す気には私には到底なれないのです。
今回の碑文谷さんの話を読んで少し気が晴れた気持ちになったのでコメントいたしました。駄文で失礼いたしました。
励ましが、いけない?
ならば、どう言ったことばならあなたはなっとくするのですか?
はげましに、勇気づけられるひともいます。わたしもそうです。そうではないひともいる。
はげましが絶対にいいことばではないのとおなじく、万人が納得することばなど、ない。
あなたの言葉に傷つくひとが、います。
頑張っては、いけないの?
前にお願いしましたが「僧侶」「葬儀屋」とか普通名詞での投稿はやめていただきたい。筆名でもいいですが、発言はご自分の責任で行っていただきたいです。
1回送信いただけば届きます。「荒し」があったので、私が見てから公開することにしました。何回も送信なさらないようにお願いします。今回「葬儀屋」を名乗る方の7通かの同文のコメントは削除させていただき1通を公開しました。私の意見と違う意見も公開すべきだと思っているからです。
「激励」一般が悪いわけではもちろんありません。東北人の一人としてありがたいとは思いますが、少し重いように私は思いますし、感じています。
「激励すればよい」わけではないのです。励まされる人がいることも否定しません。しかし、重く感じる人もいるのです。
もしあなたが葬儀という仕事に従事しているならば、さまざまな遺族の想いに沿ったサポートが求められるわけです。「激励」に励まされる人もいれば傷つく人もいる、ということを知って、それぞれの想いに沿うサポートであるべきでしょう。
葬儀に従事しておられる方をたくさん知っています。尊敬する人もたくさん知っています。いろいろな方がいます。ですからご自身の責任で発言していただけるようお願いします。