終わっていない3・11

今回の震災が社会に与えたインパクトが強いからといって、もう早くも「災後」という言葉を使うのはどうなのだろう?

簡単に「災後」「震災後」という言葉を使うことに、とても違和感がある。怒りに近いものがある。
ある親しい僧侶が「災後についての市民レベルで考えるシンポジウム」をする、と案内してきた。
まったくどういう感覚でいるのだ、と怒りのメールを送った。

「支援」ということでもずいぶん考えさせる。
「ケアする人」「ケアされる人」みたいな問題だ。
なんだかんだと言っても局外者の意識で、「善意」で活動する。
なかには待遇が悪い、と怒った外部支援者がいた。

少なくなったとはいえ、被災地では今でも毎日のように遺体が回収されている。
また95年の神戸のときもそうであったが、大津波以降の避難所暮らしとかの影響による震災関連死も多いという。

私は、元来「ガンバリズム」は大嫌いだが、仮に「がんばる」と言いたいのなら、「がんばろう東京」「がんばろう関西」とか自分たちを支援のために鼓舞するのが正解ではないか。
被災者に「がんばる」ことを強いてどうする。

東北では市区町村の役所の職員、警察、消防、葬儀社その他、地元で逃げることができず、休みも取らず、使命感で働いている人たちがいる。
中には相当数の同僚を喪い、しかも仕事は何倍にもなり、自分自身が被災者でありながら、避難民の公への怨嗟を受け続けている人がいる。
忙しいことは忙しいだろう。だからこそ休みが必要なのではないか。
2週間を休みの期間とし、半分ずつ1週間の休みをとる。
この震災、後数日でかたがつくならまだしも、長期にわたることは明らかである。

現地の友人が感情の上がり下がりが大きい、涙もろくなった、と語る。おかしくなってあたりまえだ。
休日を個々に取れるならいいが、ここは一斉に、町単位でもいいから長めの休日が必要だろう。

その期間は学校も何もかも休めばいい。医師や警察、消防その他、いないと困る仕事は、その期間は他の地から派遣すればいい。

ま、気が抜ける時があっても休まない人間が言っても迫力に欠けるが。

東電問題、原発の危険性をシミュレーションしていたとか。当然だよな、と思いながら、皆コストパフォーマンスが悪いとか見ないふりをしていたことになる。
なんかどんどん怖ろしい情報が出てくる。

馬鹿な年寄りは「戦災のほうが酷かった」などと言う。
「東京大空襲に比べれば」などという寝言を言う。
戦災は確かに大変だったろう(私は戦後最初の生まれだから知りようがない。但し戦後の空腹時代は経験している。)。
その体験を伝えることは重要なことだが、だから今回の震災が「たいしたことではない」と言うのはそもそもおかしい。
「敗戦で滅茶苦茶になった日本も復興できた。東北も復興できる」などといった言説は第三者の戯言(タワゴト)よ。

日本の戦後復興は、高度経済成長が経済的に大きく貢献した、ということも忘れることができない。
今の地方の低落、限界集落まで生んだのは、あの時の「都市化」がもたらしたものではないか。
飢えなくなったのはいい。しかし、負を見ず都合のいいところだけのつまみ食いはよくない。

原発用地となっている地域は日本の成長からこぼれた地域だ。彼らは地域復興を原発の導入ということでやったのだ。
悲しいではないか。

まだみつからない死者、いわゆる行方不明は2011年5月16日現在で9,104人(未確認情報を含む)である。
発見された遺体は腐敗してはいるものの、大切に扱われている。
大切に扱っている人がいる、ということだ。
こうした仕事から逃げずにいる人には敬意を表する。いくら職務とはいえ、こんなに長期間、さらに長期間かかる仕事を黙々としている人たちを大事にしたい。彼らも生身な人間だから、外には矜持をもっているが、精神的な消耗はけっして軽くない。

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/