「せめて初盆前にきちんと供養したい」と、行方不明のままの身内の死亡届を出し、葬儀をあげる遺族が増えているためだ。「死を受け入れたくない」という気持ちを抑え、区切りをつけるための苦渋の選択だ。
「生きているかもと諦めきれず、歩いて探し回った。でも、生きている自分たちの区切りにと決心し、お盆までに葬儀をあげたかった」
岩手県大槌町の川崎広さん(54)は7月12日、遺体が見つからない母親のセツさん(当時75歳)、義理の妹の恵美子さん(同41歳)の死亡届を出し、8月7日に葬儀をあげた。
2人は自宅で津波に襲われ、いまだに遺体も遺品も見つかっていない。「どこかに出かけているだけのような気がして。死亡届を出したら二度と会えないと認めるようでつらかった」。ずっと死亡届の提出をためらってきたが、弟の広次さん(51)らと話し合い、初盆を前に供養することにした。「俺らも前に進めん。母ちゃんたちもそうかもしれん」(2011年8月10日08時10分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110810-OYT1T00145.htm
お盆というのは日本人にとって特別な行事である。
東京では新暦で行うが旧暦であると8月末か。ほとんどが1月遅れの8月13~15日に行う。
今年も帰省する人が多い。その目的の一つが「墓参り」である。
多くの墓地は今年は3月11日以外も地震が多く、各地で地震の影響で墓石が倒れた。津波でなぎ倒され元の場所が不明なものも多いとか。
高齢者が田舎には多いから、お墓の建て直し作業は帰省者の重要な仕事になるだろう。
お盆は死者が戻る日である。
この期間は生者と死者が生活を共にする。
迎え火はその死者を迎えるために
送り火は一緒に過ごした死者を送るため。
まさに帰省で一時実家に戻り、また再会を祈って別れる、と同じこと。
生者と死者が田舎について同じ想い過ごす期間である。
盆踊りは生者と死者が共に踊り楽しんだものという。あの恍惚と熱気は生者だけのものではない。
「死者になる」ということは「生者ではなくなる」という深い心を傷める喪失をもたらすのだが、「死者になる」ことで生者と再び細い紐を結び直す、ということでもある。
「死者」とは「忘れられた存在」になるのではない。
「葬られ、弔われ」て死者は生者の心に入るのである。
その象徴がお盆である。
これは日本人の死者観によるのであるが、表象は異なれどもキリスト教でも驚くほど近似しているように私は思う。神道も無論そうである。お盆=仏教行事ととらえると落ちこぼれるものがたくさんある。
日本人の夏は1945(昭和20)年の暑い夏の悲劇の記憶と共にあった。
1945年の主な出来事だけを拾う。すでに戦局は敗北に決する方向にあった。戦争という政治的目的からは戦う必要のない戦闘であった。そして多くの人が死んだ。
2月~3月 硫黄島
3月10日 東京大空襲(続き名古屋、大阪、神戸)
4月~6月 沖縄戦
4月 戦艦大和の最期
5月~6月 横浜、静岡空襲
7月 仙台、北海道空襲
8月6日 広島原爆投下
8月9日 長崎原爆投下
8月15日 敗戦の詔勅
8月16日 ソ連が樺太、千島、満州侵攻→シベリア抑留
8月は戦争死以外でもあらゆる死者に対し、格別に想いを寄せる季節である。