中秋の名月

13日ぶりにブログを書いている。

昨日月を携帯で撮ったが、今夜が「中秋の名月」らしい。
もともとは陰暦では8月15日から16日の夜のこと。

いったん涼しくなり台風が紀伊半島等に豪雨をもたらした後、また暑さが戻った。
もっとも紀伊半島では川に土砂ダムができてまだ危険は去っていないという。

昨日は9・11から10年、3・11から半年ということで賑わっていたようだが、あまり関心をもてていない。
長くもあり短くもあり。

昨夜、福島にいる尊敬する年上の友人と電話で話をした。
彼曰く「おれたちはまだ終わっていない」

9月に入っても、岩手、宮城、福島の県警は遺体捜索を継続している。数日前に福島県警が東電原発事故付近を完全防備で捜索している記事が掲載されていた。
10日には5遺体収容されたという。
この遺体を地元業者は扱わない。汚染遺体は断わっている。
そこで遺体が収容されるたびに彼らに県から出動要請が来る。
捜索が終わらない以上、彼らの仕事も終わらない。
彼らは気骨者集団だ。
中小零細な企業ばかりなのに痩せ我慢して自分たちからは決して請求書を出さない。
もらった同業者からの義援金はありがたくいただき、その金は搬送用の中古車代と倒壊した同業者への支援金に全部あてた。

彼は言った。「皆10年やそこらで終わるはずがないと思っている」と。
被災地のアンケートが記事になっていたが、現地の人たちの見方のリアルなこと。おそらく絶望を知ったからであろう。
半年あたりというのはどうもリアルになる時らしい。直後は悲しみにせよ一種の高揚がある。でも日常復帰など四十九日では不足らしい。喪失感を克服したと言ってもいつまでももつわけではないようだ。
「元気」をいいことと周りは言わないことだと思う。それでも人知れず嘆くことがある。
10年経っても終わらない喪がある。それはけっして本人の心のもちようではない。

先日送られたある仏教関係の雑誌で、現地の僧侶が助かった者と助からなかった者とをスピリチュアルな声に聴き従ったかどうかで説いていた。
「バカヤロー」と思った。宗教の怖さだ。

8月末からウツ期に入って9月から悪化したものだから、例により皆に迷惑をかけている。でもきょうから少し書いている。
月の写真を撮ったら久しくブログを書いてないことを思い出して書いた。

妄言多謝

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/

「中秋の名月」への1件のフィードバック

  1. ほんとうに、きれいなお月さま。昔は、十五夜お月さん・・・・、なんてお月さまの世界に住んでいるウサギさんがせっせときねをついている・・・なんて世界で・・・。でも、わびさびの世界があって、現実の世界があって、どっちが本当の世界なの・・・?この世界・・・恥ずかしいけど19年。でも、まだまだつかりたい世界です。朝夕、少しばかり涼しくなってまいりました。どうぞご自愛くださいませ。
    また・・・、こちらにいらっしゃいませんか?

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