10月28日(金)毎日新聞夕刊「特集ワイド」(私はこのページが大好きなのだが)に、秋田県に住む96歳のジャーナリストむのたけじさんへのインタビューが掲載されている(宍戸護記者)。
むのたけじさんは秋田でコツコツ発行していた『週刊たいまつ』の主幹。
戦前、朝日新聞の記者として第2次大戦に従軍、昭和20(1945)年8月15日の敗戦日に、ジャーナリストとしての戦争協力責任をとって朝日新聞を辞職。以後は故郷の秋田県に帰り、『週刊たいまつ』を発行し続けてきた。
私の学生時代、戦争責任をとった数少ないジャーナリストの一人として、その言説の骨っぽさに注目し、尊敬していた方である。
むのさんは「戦争責任を曖昧にしたままの戦後復興」の問題点をずーっと問うてきた。
「戦時中、新聞社内で何が行われたかといえば、記事の自己規制です。余計なことを書けば軍部から圧力がかかると、自らを縛りつけてしまった。新聞社の『自己喪失』、言い換えれば『自殺』がその実態でしたな。原発についても広告主の電力会社を気遣って、同じ過ちを繰り返したのではないでしょうか」
このブログでは何度も繰り返すが、私は「東北人」である。
正確に言うならば「東京在住の東北人」である。
もっとも地元の人間から言わせれば「東京に移住して去って行った東北人」であるかもしれない。
次のむのさんの発言は、私の想いそのままである。
「東北は昔から、日本の権力構造の中で差別されてきました。
特に明治維新以降は『白河以北は一山百文』と言われ、植民地の扱いを受けてきたんです。
私が東京にいたころ、コメが不作になれば東北の女性は吉原に売られ、上京した男性は東北弁をあざ笑われて自殺した者もうんといた。
なぜ原発も東京のど真ん中に造らなかったの?
東北の民衆をごまかしながら、国や東電が東北に造り上げたわけでしょう。」
白河は福島県の南端、これから以北がかつては「奥州」。
明治維新の戊辰戦争は、この白河の地での戦いで東北列藩同盟軍が敗れたことで勝敗を決した。
その後の会津等の戦いは、もはや勝利を目的とした戦いではなかった。