東日本大震災犠牲者合同慰霊祭

昨日は「津波防災の日」。

今年(2011年)6月に「津波対策の推進に関する法律」が制定され、11月5日が「津波防災の日」と定められた。

東日本大震災が発生した3月11日を当初民主党は案としていたが、「防災」という観点から昨年から自民・公民が11月に法案を先に作っていたため、それに合わせるとして決定されたという。

また、3月11日を避けたのは、よく知られる記念日症候群、強いストレスを受け心的障害を受けた場合、しばしばそれに関連する日、死亡日、結婚記念日、誕生日等故人にまつわる日がくると強いストレスが再び襲うフラッシュバックが起こることを避ける意図もあったようだ。

11月5日というのは1854年の安政南海地震発生した日。
「稲村の火」という故事で知られる。
地元の実業家であった濱口梧陵が、津波襲来を知らせるため、稲束に火を付けて村人を高台に避難させたという。
今回の大津波でもたびたび「稲村の火」の故事が語られた。
今回の震災では「釜石の奇跡」と言われ小中学生の避難に成功した釜石市の経験、津波防災計画、訓練が注目された。

昨日、各地で防災訓練やシンポジウム、記念植樹が行われたと報じられた。「稲村の火」の故事の町、和歌山県の広田町では津浪祭が行われている。

気になるのは岩手県では防災訓練が行われたが、宮城県、福島県では「まだ手が回らない」ということで行われなかったことである。
無理のない話である。まだまだ被災現場、原発事故現場は続いているのだ。

東京・芝の増上寺では14時より東日本大震災犠牲者合同慰霊祭が行われた。
現地に支援に行った者が犠牲者を弔うため、現地には行けなかったが犠牲者を弔う機会をもちたい、とする人々など震災の犠牲者を弔おうとする人々が集まった。

震災直後、遺体の洗浄・納棺・搬送等におよそ700名が参加し支援した全日本葬祭業協同組合連合会(全葬連)が主催し、全日本仏教会、東京都仏教連合会が後援する形で行われた。
浜松町の駅前で「どなたでも参加できます」という呼び掛けに応えた人も多かった。
この模様は5日の19時のNHKニュースで伝えられた。

その内容を紹介しておこう。もう読めなくなっている。

津波防災の日

東京で慰霊祭 5日は、東日本大震災を受けて制定された「津波防災の日」です。東京都内では、震災の犠牲者を悼んで慰霊祭が営まれました。
津波防災の日」は、東日本大震災を受けて津波対策を推進するため国が新たに設けたもので、多くの犠牲者を出した1854年の「安政南海地震」が起きた日にちなんで11月5日と制定されました。
5日は、震災の犠牲者を悼む行事が各地で行われ、このうち東京・港区の増上寺では遺族などおよそ1000人が参列して慰霊祭が営まれました。
会場では、震災が発生した午後2時46分に合わせて参列者全員が1分間の黙とうをささげました。
続いて遺族を代表し、津波で父親を亡くした宮城県石巻市の太田かおりさん(41)が「日々押し寄せてくる悲しみにつつまれる毎日でしたが、多くの方々に何とか前を向く力をいただきました。生かされた者として、地域の復興に努めていきたいと思います」と述べました。
また、夫を亡くした福島県いわき市の金成晁子さん(74)は「犠牲となった肉親や友人を思うと悔しさが込み上げてきますが、あの災害を教訓として日頃の心がけとお互いの絆を大事にしたいと考えるようになりました。皆さんとともに犠牲者のみ霊にお祈りをささげたいと思います」と述べました。
このあと参列者たちは、焼香をしながら犠牲者を弔っていました。

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/