久しぶりの更新になります。
すっかり寒くなってきました。
青森から来た人に一昨日訊いたら雪だそうです。
季節は「冬」です。
東北の冬は厳しいですから、仮設住宅での暮らしはたいへんでしょう。
被災地の状況はまだまだ変化がなく、今でも少しずつ発見される遺体があります。
「遺体が発見されてよかった」と喜ぶ家族。
行方不明のまま「生きているかもしれない」と微かに期待するのではない。
「もう海に流されて発見されないだろう」と諦めと絶望のなかにいる家族。
遺体が発見され、身元がわかると、「戻ってきてくれた」と安心する家族。
まだ、3千人を超す行方不明者がいます。
青森県1、岩手県1,409、宮城県1,973、福島県221、茨城県1、千葉県2…
計3,607人の方がいまだに行方不明(11月28日付警察庁)なのです。
今回はDNA採取などの手が使えたから、これでとどまっています。
吉村昭『三陸海岸大津波』(文春文庫)によれば、明治29(1896)年6月15日に発生した明治三陸大津波では、「腐乱した死体の処理」は、
「葬儀などをおこなう状況ではなく、死体は流木のうえにひとまとめにしてのせられて重油をまいて焼かれた」
とあります。
今回の仮埋葬(宮城県のみで約2千体)ではこんな乱暴な方法ではなく、1体ずつ棺に入れ、別々の区画に埋葬されました(しかし火葬が可能な状況になるとすぐ掘り返されることになりましたが)。
青木新門さんが満洲で逃げ帰る途中に死んだ妹のことについて書いていますが、戦時中、戦争直後まで、穴が掘られ、そこに遺体を山積みにし火をかけて焼いたケースは少くなかったようです。
1995年の阪神・淡路大震災でも、「野焼き」が役所のなかで話題になりました。
しかし、今回は「野焼き」の話は出ませんでした。
今回の震災は「フクシマ」(東京電力福島第一原子力発電所事故)を引き起こしました、いまだ収束どころか被害が拡大しています。
本日の朝日新聞が伝えるところによれば、福島産のコメを巡る問題のほか、次のような記事が報じられています。
高濃度の放射性物質が検出された千葉県柏市根戸の市有地の土壌から、最高で1キロあたり約45万ベクレルの放射性セシウムが検出された。原因を調査してきた環境省は28日にまとめた中間報告で、福島第一原発由来の可能性が高いと改めて指摘した。
千葉県でも柏市を中心とした地域、あるいは群馬県でもホットスポット(点状にある放射性物質の値が高い地域)が見られます。
1986年4月26日に発生したチェルノブイリ原子力発電所4号炉事故は発生後25年経過した現在も、半径30km以内は居住禁止とされ、各地にあるホットスポットはいまでも農業、放牧等を禁止されています。
フクシマも今後30年以上にわたり被災地であり続けると推定されるほどです。
人が去る、これが目に見えて行われているのが福島の状況でしょう。村が消え、町が消え…
こんな事態に誰がした。