高齢者虐待

12月6日、厚生労働省老健局高齢者支援課認知症・虐待対策推進室という長い名前の部署が
「平成22年度 高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律に基づく対応状況等に関する調査結果」
という長い名前の文書を発表した。
一部新聞でも記事になったので知った人もいるだろう。

調査対象は
「全国1,745市町村(特別区を含む。東日本大震災の影響により、調査報告が困難であった岩手県・宮城県の5市町村を除く。)及び47都道府県」となっている。
(注)5市町とは、岩手県:大槌町、宮城県:石巻市、気仙沼市、女川町、南三陸町、でいずれも大津波の被害が甚大であった市町である。
調査方法は
「平成22 年度中に新たに相談・通報があった高齢者虐待に関する事例、及び平成21 年度に相談・通報があり、平成22年度において事実確認や対応を行った事例について」アンケート調査を行った。

市町村対象のアンケートでは
1.養介護施設従事者等による高齢者虐待
(1)相談・通報対応件数及び相談・通報者
(2)事実確認の状況と結果
2.養護者による高齢者虐待
(1)相談・通報対応件数及び相談・通報者
(2)事実確認の状況と結果
(3)虐待の種別・類型
(4)被虐待高齢者の状況
(5)虐待への対応策
3.高齢者虐待対応に関する体制整備の状況
4.虐待等による死亡事例の状況

と、2つに分かれている。

「高齢者虐待」とは何か、であるが次のように定義されている。

ⅰ 身体的虐待:高齢者の身体に外傷が生じ、又は生じるおそれのある暴力を加えること
ⅱ 介護・世話の放棄・放任:高齢者を衰弱させるような著しい減食、長時間の放置、養護者以外の同居人による虐待行為の放置など、養護を著しく怠ること。
ⅲ 心理的虐待:高齢者に対する著しい暴言又は著しく拒絶的な対応その他の高齢者に著しい心理的外傷を与える言動を行うこと。
ⅳ 性的虐待 :高齢者にわいせつな行為をすること又は高齢者をしてわいせつな行為をさせること
ⅴ 経済的虐待:養護者又は高齢者の親族が当該高齢者の財産を不当に処分することその他当該高齢者から不当に財産上の利益を得ること。

養介護施設従事者等による高齢者虐待」とは、法律では
「老人福祉法及び介護保険法に規定する「養介護施設」又は「養介護事業」の業務に従事する職員が行う」虐待で、
「要介護施設」とは
・老人福祉施設・有料老人ホーム 介護老人福祉施設・介護老人保健施設・介護療養型医療施設・地域密着型介護老人福祉施設・地域包括支援センター
をいう。
「要介護事業」とは
・老人居宅生活支援事業・居宅サービス事業・地域密着型サービス事業・居宅介護支援事業・介護予防サービス事業・地域密着型介護予防サービス事業・介護予防支援事業
をいう。
「養介護施設従事者等」とは
「養介護施設」又は「養介護事業」の業務に従事する者
と規定されている。

つまりは専門の施設または事業で働く介護職の虐待行為がないか、という問題である。

この「養介護施設従事者等」の虐待についての相談・通報は、前年度比24%増の506件、調査結果虐待の事実が認められたのは96件で前年度比26.3%増。虐待と判断された件数は相談・通報件数の19%である。
こうした施設やサービスでの虐待事例は増加してはいるが、全体的には少ない。しかも相談・通報者が「当該施設職員」である例が34.8%で最も多いのは自浄作用がある程度見られることである。「家族・親族」からの相談・通報は26.1%。

虐待を受けていたのは女性で74.7%、年齢は80歳以上が73.1%、要介護度が3以上が75.2%。
これは施設やサービスを受けているのが80代以上の女性で認知症の人が多い、という実態を表している。

女性の高齢化は、「女性は長生き」というポジティブな面だけではなく、こうした危険性を伴うものである、という事実を見ておく必要があろう。

虐待者は介護職員が76%と高く、年齢は40歳未満が45.6%。若い職員が多く、ストレスを感じてのことだろう。

虐待の種別は身体的虐待が70.8%、心理的虐待36.5の順。
身体的虐待には徘徊に対する身体的拘束等が度を過ぎて傷害等に至らせる例もあるだろう。

もっと深刻なのは「養護者による高齢者虐待」である。

これは主として在宅介護において発生するものであろう。
ここで「養護者」とは、
「『高齢者を現に養護する者であって養介護施設従事者等以外のもの』であり、高齢者の世話をしている家族、親族、同居人等が該当する
と規定されている。

相談・通報が25315件(前年度比プラス8.2%)、調査して虐待の事実、虐待されたであろうと判断されたのは相談・通報の66%の16,668件(前年度比プラス6.7%)であった。
相談・通報者は「介護支援専門者等」が70.8%、「家族・親族」11.2%、「被虐待高齢者本人」10.7%であった支援に訪れたヘルパー等が家庭内虐殺を発見する例が多い、ということであろう。
こうした発見は介護保険があったからわかることで、高齢者介護が家庭内に封じられていれば表には出てこなかった事例である。

虐待等による死亡事例も少なくない。。
「養護者による殺人」が10件10人、一般にネグレクトあるいは保護責任者遺棄致死といわれる「介護等放棄による致死」が6件人、「心中」4件4人、「虐待による致死」1件1人の合計21件21人。

虐待者を見ると、「同居」が85.5%と圧倒的。
息子が42.6%、夫が16.9%、娘が15.6%、息子の配偶者7.2%、妻5.0%の順。但し虐待者が複数いる場合もある。

虐待の種別(複数回答)は
身体的虐待が63.4%、心理的虐待が39.0%、介護等放棄が25.6%、経済的虐待が25.5%であった。

被虐待者(虐待された人)は
女性が76.5%、男性が23.4%、と女性が多い。

被虐待者の年齢は
80歳以上が52.3%と過半数を超えている。
70代が37.0%、60代もいて10.2%。

やはり要介護認定者が約7割と多い。

「養介護施設従事者等」の事例と同じく、80歳以上の女性で要介護認定者が虐待されている人、というのが典型となる。

もとより「長寿」という言葉には「長生きをお祝いする」という意味がある。そしてこの言葉の背景には長寿、特に80歳以上の人が稀であったことを示す。
かつて昭和の前期以前、1930年までは80を超えて死亡する人は1割もいない稀であった。
それが今や全死亡者の半数を80歳以上の死亡者が占める超高齢社会である。

「超高齢社会」を「長寿社会」と言葉の置き換えをしてみても始まらない。社会構造がガラッと変わったのである。
「親孝行」「年寄り孝行」を言っていた時代は高齢者が少ない時代のモデルである。

今の70代の人の意識を示すのは「迷惑をかけたくない」である。

おそらく介護している側にも「追い詰められた感覚」があるのだろう。介護者となる家族も少数化している。
「親と子」である「未婚の子と同一世帯」がトップで37.3%である。
次いで「既婚の子と同一世帯」が26.4%。「夫婦二人世帯」が18.2%と少ないのは夫が先立った例が多いからであろう。

虐待者に息子、夫が多いのは、男性が罪深い、凶暴であるということを示すのではない。男性が生活力が乏しく、対処能力が低い傾向にあること、生き方が不器用であることが多いことを示しているのだろう。

「高齢者虐待」は残念ながら、今後さらに増加するだろう。
それは「高齢者の人権を無視する子世代の増加」を意味しない。
介護者の負担を社会全体で軽減していくか、という「介護保険」が担ったはずである「介護の社会化」が不徹底であり、それへの社会的合意がないことである。

せめて相談先がもっとオープンで、いろいろであるといい。
社会福祉関係だけではなく、いろんなところにあるといい。
不器用な男が寄れる
、電話できる先がいろいろあるといい。

今や日本は新しいステージに立っている。
過去の道徳も現実の厳しい状況では空語になってしまう事態である。

帰宅途中車でラジオを流していたら、「エンディングノートが流行っているらしい」ことが話題になっていた。
パーソナリティが
「死を考えることは、今の人生をいかに充実させるべきか、残された人生で何をなすかを考えることで、その方が価値がある」
てなことをほざいていた。

それもあっていいだろう。

だが、まだ自分は長生きして認知症になって死ぬ、なんてことは想像していないのだ。
冷静に考えればそっちの可能性だって高いのに。

確実に言えるのは、80代以上では自分の老後、死に方は選べないということだ。

できるのは判断力があるうちに、「希望」を書き残しておくことぐらいである。

だからそういう状況をいやというほど見ている70代はリアルに、現実的に考えている。

40代、50代ではまだリアルに自分の未来である老後や死を描けない。まだ夢を追っている。
夢を追うのはいいのだが、自分が夢想する未来を手にする確率はとても低いのだ、ということを知っておくとよい。

それこそ後2時間後に生死の間を彷徨うことになるかもしれない。
反対に、宝くじにあたるより低い確率ではあるが、望んでいなくとも長寿記録を達成するかもしれない。

老後、死に方がどうであれ、その人の価値とは無縁である。
老後を待たない死も価値とは無縁である。
平均寿命というのは、皆がその歳まで生きることを意味しておらず、平均寿命に達しないで死ぬ人が約半数いる、ということを示している。
皆、努力も徳も関与しない世界なのだ。

これを「悲観的」と言うなかれ。
現実を見つめていかなければ空論になるだけなのだから。
そしてどんなであれ、死に方によって人を差別することがないように。

2011年の言葉は「絆」だという。
でも絆が切られ、ちぎれてしまっている現実を自覚した年でもあったのではないか。

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/