再び、40年前のこと

すっかり秋。

昨夜は同年輩の古い友人たちと渋谷で飲んだ。久しぶりに会った元記者は話す言葉は変わらないのだが、風貌は一変。髭面で現代の仙人の趣。
『キリスト教界と東神大闘争』出版のお祝いということでご馳走になった。
利害関係がまったくない友人とご一緒させていただいたことはありがたかった。中には50年来の友人もいた。

自分を賭した思想闘争のつもりが、相手の教授会では、公安からの入れ知恵だろう、党派の奪権闘争と位置づけられ、彼らの行動、言動のすべてが合理化され、正当化されたことが40年経過して明らかになった。
そこにいる人間を見ないで、「おそろしい党派」を妄想し、
「彼らは真面目そうに見えるが裏には実はおそろしい党派が力を握っているので、その党派を蹴散らすためにやる行為ですから聖戦なのです」
という論理だ。
馬鹿な、と思うが、その「実は」のために全学生160人中70人が大学を去るはめになった。

こうした妄想は実はキリスト教の異端排撃では歴史的に珍しい手段ではない。
正統的教理と異なる意見をもつもの、あるいは教会の権威を揺るがす者たちには
「実は、彼らは人間の顔をした悪魔なのです」
と言って処刑まで行った。
40年前の私たちへの彼らの対処は「悪魔追放」そのものだった。
また周囲の「正統」と言われた信者たちは「悪魔追放だからしょうがない」と受け入れた。

さしずめ今でも彼らは自分たちによる多数の学生排撃・追放を正当化するためには「悪魔妄想」を捨てることはできない。
私はさしずめ「悪魔の統領」に擬せられたし、現在もそうなのだろう。

私は「自分は悪魔ではない」と論証しようとしたのではなく、「彼らのいう悪魔」であることを引き受け、その「正統信仰」が虚妄であることを論じたつもりであった。
私たちの周囲には素朴で人間的信仰の持ち主が集まった。そして教授会の「異端排撃」がおかしい、と異を唱えた。

私たちにもう一つの共通点があるとすれば、それは戦時下のキリスト教の戦争協力をきちんと反省しなければならない、ということだった。
戦争協力に対して「あのときは仕方がなかった」と横に置くのではなく、少なくともその事実を「自分たちの傷」ととらえるべきではないか、ということである。

近々、日本キリスト教団では総会を開き、当時の教授会がとった行動の正当化をはかるらしい。茶番である。
彼らは劣悪な教団になろうとしており、そうなることを宣言するようなものである。

私は今度の本で真っ裸になったようなものである。
当時69年6月から72年6月の3年間に書いたものをすべて(いくぶん洩れがあったようだが)当時のまま、欠点があってもそのまま公表したのは、検証、批評に晒すためであった。
彼らが依然として「妄想」によりかかり自己の正当性を主張するならば、事実を提出する以外にない。それが今できる私の精一杯のことである。

仏教界で戦争責任が言われるようになったのはキリスト教界に比べればずっと新しい。
若い僧侶はそれを自分が生まれる前の古い歴史としか思っていない。
当時の指導者や同調者を排撃するよりも大切なことは自分たちがそれを向き合うべき傷と認めることである。

宗教は人々の現実に根差すのでなければ命脈を保たないだろう。
あの第二次大戦で受けた人々のいのちや暮らしの喪失を自らの傷と認識しないでどうやっていけるのだろう。

戦争ほど他国民、自国民のいのちを軽く扱ったものはない。
その戦争に大本や一部少数者以外の宗教・宗派は加担したという事実がある。
私自身は戦後生まれの第一期生だが、そこかしこに戦争の残した残骸、心の傷に触れた者である。
67年前は戦争が終わった年である。
少なくとも85年前から67年前までにに起こったことを「たいへんな時代でしたね」と言い合うだけではなく、沈黙するでもなく大きな声で日本の宗教宗派の多くが翼賛したという事実を見ておく必要がある。
それはとても大切なことである。

キリスト教会での葬儀に違和感を覚える人は、時折そこでは教会員、信者であるその人のことしか語られず、その人の生、固有の生涯という物語を引き受けていないと思われるときである。
また仏教葬に違和感をもつ人は、僧侶がその人の全体を引き受けて葬儀をしようするのではなく、ひどいときにはその人の固有の物語を何ら聴こうとせずお経だけをあげることが多いためである。
いのちの際に、いのちというものはその人が固有に織りなす物語となって現出されるのであって、それに無関心なまま葬儀を行うのはいのちへの冒涜行為である。
誰も弔う人、葬る人がいない場合でもその人の固有のいのちの物語に想いをいたして営まれるのが葬式というものである。

時折宗教者が「葬式屋」と呼ばれるのは弔うべき葬るべき人に無関心で、単なる手順としての葬式を行うときである。
そんな手順なんて不要であるどころか害である。

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/

「再び、40年前のこと」への1件のフィードバック

  1. 碑文谷さん、
    10月18日のものを小久保和夫さんが送ってくれて読みました。『キリ新』12月22日号に私が書いたものが載っていますが、読まれましたか?

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