酒乱

「酒乱」というのはけっこう怖い。

私が会社勤めをしていた頃、約30代(いまの半分!)
同輩に決まって最後に乱れるお人が2人いた。

その人たちの日常は、きわめて温厚である。
自分が酒乱の傾向がある、ということを自覚しているので、常に最初はおずおずと呑み始める。

しかし、宴席も盛り上ってくると、酒を呑むペースも普通の人と同じようになる。
ある瞬間、人が変わるのだ。
目の光が変わり、口調もがらっと変わる。
こうなったらもう手に負えない。

離婚の原因に「酒乱によるDⅤ」はけっこうよく耳にする。
やはり、普段は優しい人が多いようだ。
また、後の優しさが半端でないようだ。
でもこれが生活の中に入ってくると同居は困難になる。
簡単に治療できるものならいいのだが。

自分はけっして酒乱ではない、と思っていた。

最近は意識して外ではあまり呑まないようにしている。
宴席が用意されている場合も、意図して車で行き、「車なんで」と断るようにしている。
年齢を重ねて、酔って帰途がきつい、というのが最も多い。
かつてはそうでなかったから、あちこちにボトルキープしていたものだが、今では古い付き合いのお店が2店、1年に1回も行かないときがあってもボトルを置いておいてくれている。

宴席で呑むのはノンアルコールのビールもどき。
私はビールは腹が膨れるので家では呑まないし、宴席で呑むにしても乾杯の分だけ。
多いのは麦焼酎かウイスキー、たまにワイン、日本酒
このビールもどきけっこううまい。周囲でも呑んでいる人が多い。
また、酔わないとちゃんと話ができる。
事務所の人間には呑んで仕事関係の話をしないように、と厳命されている。
酔っぱらうほどではないのだが、酒席で簡単に口約束をして、まずいことにそのことを忘れてしまう。
相手に結果的にウソをついたことになる、と言うのだ。
そういえば仕事上のつきあいのある人が、酒席では仕事の話をしないで、ばかなことばっかり言っている。
これはこの人の知恵なのだろう。
呑まなければそうした失敗もしないで済む。

例外は旅先でみんなと呑むとき。
ホテルに帰るばかりなので、車を理由に断れないからだ。
最近はそのような時はあえてバカ話に徹している。

私はその日の体調で呑める量が極端に変わるタイプ。
「まだ足りないんじゃないですか」と言われるほど少量の時と
「いけますね」と言われるほどたくさん呑む時とがある。

近年よくないのはのど越しの感覚が歳のせいで鈍くなったこと。
ウイスキーの場合、シングルではすぐ水のように感じ、ダブルにしてもすぐ水のように感じるようになり、最後はロックにするのだが、すぐ感じなくなる。
酒のダメージはあるのだが、こんな調子なものだから、親しい人には予め注意してくれるよう頼んでおく。
眠くなって寝ることはあるが、みんなと一緒の間はそんなに乱れることはないと思う。
でも一人になると、グンと酔いを感じる。

その私が最近、酒乱になる。正確には記憶がないのだから「酒乱になるらしい」だが。
もっとも帰宅した後のこと。
家で呑むことが多いのだが、酒を呑む前に薬を飲んでおく。
毎晩飲むのに導眠剤がある。
薬が回るのは30分か1時間後。たまに効かなくて、もう1つ飲み足すこともある。

その間に酒を呑む。
水割り2~3杯くらいだ。
あくびをしたらすぐ布団に入らなくてはいけないのだが、「もう1杯いけるだろう」といき、それが大丈夫でなく、途中で眠ってしまう。注意していてもそうなる。
家人が起こして布団に寝かせてくれるのだが、その時、暴言を吐くらしい。
後から聞くと、ふだんは抑えていることだが、家のことから仕事のことから見境なしに暴言吐きまくりだという。
朝になると、そんな記憶はまったくない。

だから、旅先では「どんな小さな、汚い部屋でもかまいませんから1人部屋をお願いします」と頼むことにしている。
家人にはもう隠せないが、せめて他人に迷惑をかけたくない、と思うからだ。

だが、酒の席の話ではない。
最近は会議の席上や電話でもときどき怒鳴ることが出てきた。
歳のせいで抑制力が衰えてきたのだろう。
原稿が進まない時、怒鳴った後、
そろそろ「隠退時期だ」と思う。

近年「遅筆」がひどい。一昨年あたりから謝りっ放し。
まだ一昨年来の仕事を抱え、迷惑をかけている。これは今月中になんとか、と思っている。もっとも昨年の11月から毎月思っていることだ。
昨年は青春期の愚かさを露出したが、今年は『死に方を忘れた日本人』の後編を何とか仕上げたいとは思っているのだが、その時間がはたして残されているか…
第2、「校正力」のの衰え。「何でこんなミスを見逃した?」と自分を信じられない出来事が続出。編集者失格である。
第3、「事務処理能力」の劣化。もともと得意でないのに、これには周囲が呆れるばかり。完全に信用を失っている。

先日テレビを見ていて驚いた。
おばあさんに見える人の年齢が62とあるではないか。
67の私は、もうれっきっとした「高齢者」である。
最近は私よりも年齢の若い人の死に出会うこともある。

若い時、太宰、芥川の死亡時年齢から、「40歳を過ぎたら晩年」と勝手に思い込んでいた。だから40の大台を超えた時は強く意識した。
それから27年が過ぎた。
文字通り「晩年」にいると思う。
私にとって「晩年」とは「来年がある」ということを前提にできなくなることだ。

ようやく春。とうに咲き、散っていったサクラの写真
130328_092738_2

広告

投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/