終末期の準備

◆連休

連休の狭間、でも私は何ごともなければ事務所にいる。
いま40になる長男が小学生だった頃であるから30年前になろうか。
家族で伊豆に行こうとして、家を車で出発した。
東名に乗るまでが環状8号線を行く。高速に乗る前に2時間以上経過し、車はちょっとしか進まない。高速に乗られるまでどのくらいかかるかわからない。
家族もウンザリしていたので、行くのを諦め、家に引き返した。

これがあって以降、わがやではGWに出かけることはやめた。
普通に過ごすことにしている。

◆心配事

ここ数日、心配な日々を過ごしている。
通常であれば22時でも24時でも、家に帰りついた時点で携帯電話はオフにする。翌朝平日は7時、土日祭日は8時にアラームが鳴り、以降は携帯はオンになる。
一昨日から24時間携帯をオンにしている。

62歳と5つ年下の従妹ががんの終末期にあるからだ。
昨年救急で入院、大腸のかなりとリンパ節を切除。内臓への転移は見つからなかったが骨に転移。以降20数回入退院を繰り返した。
骨癌は厄介なようで、本人の痛みは半端でない。それに嘔吐して、この対処が家では難しく、また入院した。

近年、がんの終末期の患者は治る見込みがないと病院は追い出しにかかる。本人も何もなければ自宅がいいが、昼間勤めている夫がいない時間はたいへんになる。そこで1年に20回を超える入退院となった。

21日自宅療養中に呼び出しをくって、彼女の弟(私が上京したおりまだ小学生だったので、若いというイメージがあるが、もう58と定年2年前)と、彼女の夫と本人を交えて葬式の打ち合わせをする。
いとこの両親がもう亡くなっているが、そのときお世話になった葬儀社を私が知っているので事前に連絡しておくことにする。

そこで感心したのが葬儀社の電話受付の女性の対応。若い声ではないから中年だろう。
少し低音が落ち着かせてくれる。
言葉づかいにも細心な配慮が見られる。
ばか丁寧ではない。情報を聴き取る以外の余計な言葉は挟まない。
ここがそうかわからないが、中小の葬儀社で経営者の夫人が電話番を務めるケースはかなり高い。
社長より夫人の電話の声で落ち着いた、という地域住民が多い。
家族を案じる気持ちがひしひしと伝わる。

本人の名前、住所、状況、家族の責任者の意向、電話で伝えるには情報量が多い。そこで私はファックスを先にし、それを確認する形で電話をした。
本人が献体登録を済ませているので、そのことも話す。
献体は48時間以内を希望されているので、通夜、葬儀をして出棺となるが、それが医科大学より迎えにきたばバン型車で送る。
48時間以内という制約があるので、式場がうまく確保できるか、菩提寺の住職の体がその時空いているかわからない、二重三重に準備をしておかなくてはならない。
ご本尊もお持ちいただくことになる。住職の希望で、シカ(四華花)を葬儀社に用意してもらう。
本人がバラを飾ってくれ、と言うので少量のバラを使うことを住職の了解を得て葬儀社に話しておく。
本人が歌を「マイウエイ」「いい日旅立ち」を希望しているのでダウンロードして備える。

家族は夫と別居中の息子。
2人には気兼ねなく、今から、また死亡した場合にも通夜までは、充分な別れをして過ごしてほしいので、事前準備はできるだけしておくことにする。

前の世代で残っているのは、従妹の母方の弟が一人、父方の義理の妹(従妹の父親は私の父親を長男とする5人兄弟の末っ子で養子に入った。その家は昔下町で煎餅屋さんをしていて、子がいなく男の子と女の子を別々に養子とした。その妹)である。

その子の世代から初めてのこと。親の世代でもそうだが歳の順に死んでいくわけではないのだ。

もう10年以上経つのだろうか、いま終末期にある従妹が、本人の父親の火葬と拾骨の時、私にしがみついて泣いていた情景を思い出す。

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/