暑中見舞い

今年は久方ぶりの猛暑である。
先日のことだが、事務所で仕事をしていると、凄まじいまでの雷鳴。
ベランダに出てみると、右手の空は明るい。左手は暗雲。
稲妻が上を走るのではなく、下を這い、それを追うように雷鳴がバカバタと激しく響く。そして豪雨。
外を歩いていた女性が立ち止り、稲妻を撮ろうとカメラを水平に構えていた。
この局地的雷と豪雨、時間にしては長くない。

このところ月日の経つのがはやい感じがする。
一日というのは「けっこうな長い時間」だと思っていたが、
「あれ、もう夜だ」
とろくに進んでいない原稿を見て愕然とする。
このペースでは仕事のヤマは減っていくのではなく、さらに積みあがっていく感じである。
少しずつはこれでも仕上げているつもりなのだが、途中に入る仕事があり、それを片付けていると、そこでまた時間が取られるものだから、いっこうに減らない。
絶望に近い感覚である。

仕事中に関連で調べていると、そっちに時間がとられることも多い。
いま、調べておかないと後からではたいへん、という思いにかられ、没頭する。
所詮は数語のためなので、仕事は少しも進まない。

以前は講演、人に会う…というのは仕事の範疇ではない、除外していたが、もっぱら達成感を上げるために、そういうものも「仕事」に入れ、終わると「済み」と書き込む。そうでないと絶望感が支配してしまうからだ。

最近、「講演は力勝負」と感じるようになった。
まず準備に力を使う。
似たようなテーマでも原則焼き直しはしない。
もっとも前に作った資料は見直すが、まったく同じことはない。
新しいデータが出た、ということもあるし、考えてみるともう少し別の視点も必要だ、と思ってくることも多い。
準備ははやくとも1日、数日かけることもある。
時間は90分でも150分でも変わらない。
時間は短いより長いのが好きだ。
相手の方々がどれほどそれに関する情報をもっているかわからないので、ある程度説明する時間がほしい。
また、いざしゃべると、聴衆の方々のことが気になる。
「どうもこのテーマは関心なさそうだ」と感じると軌道修正をはかる。
まさにライブである。

私はけっして話し方が上手ではないので、どちらかというと下手である。
テーマに関心のない方は退屈になるようだ。
何人かの方があらぬ方向を見たり、つまらなそうな顔をしたり、居眠りするような人が出てくる。
その姿が目に入るとまた落ち込む。

話がまた長い。
1つの質問を受けるとその関連のことを話さないと回答した気にならず、まず15分は使う。

40~50代の人の話はうまい。
こちらはロートル。もう引退時期だろう。

話は変わるが、
といっても内容のある話は何もしていないのだが、

もう外で酒は呑まない

ことにした。

話ができず、先日は途中で眠ってしまう、という事故を起こした。

話をするときはノンアルコールにする。

酒は家に帰ってから、またはホテルの部屋に戻ってからにする。
そのように完全に寛いでからの酒のほうが美味しい。

酒に対して賤しいので、弱くなっているのに呑む→他人に迷惑をかける。
もうこうした醜態は晒さないことに決めた。

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/

「暑中見舞い」への1件のフィードバック

  1. <もう外で酒は呑まない
    どうぞ、この決意が確たるもので一生続きますようにm(_ _)m

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