今や東京では珍しくなくなったもの「式中初七日」というもの。考えれば考えるほど腹立たしい。
本来「初七日法要」は、死亡日を入れて7日目(関西では逮夜の習慣があるのでその前日となることが多い)に行われる。
しかし、葬儀のすぐ後ということで、いろいろな地に家族、親戚が散っているので、また集まるのはたいへん、ということで、70年代以前だと思うが初七日を繰り上げて、還骨法要に連続して行われることが一般化している。
それが3~5年前からだろうか、関東、特に東京23区内では、葬式に連続して、出棺前に、柩を開けて最後のお別れをする前に、葬式に連続して初七日法要をするケースが多くなってきた。
葬式内で行われるので「式中初七日」と呼ばれる。何か違和感がある。
「繰り上げ初七日だって葬式の当日に行うのだから一緒ではないか」「やらないよりやったほうがいい」と言う方もいるだろう。。
でもあえて言うならば、形骸化した法要はやらないほうがまし、だと思う。
四十九日まで7日ごとに営まれる法事には、僧侶や縁者にとっては遺族が葬式後どうしているかを見守り、周囲も死者を忘れているわけではない、というメッセージがあると思う。
遺族にとってみれば、悲嘆の中にありながら、死者を弔うことを7日ごとに繰り返すことは意味のある作業だろう。
別に仏教の専売特許とする必要はない(ちなみに神道では10日ごとに行い、50日祭をもっと清祓いを行う。もっともこれは明治以降に仏教の四十九日を模倣して行われるようになった)。
7日ごとに営む法事は、身内(家族と特に親しい縁者たち)だけで、形式ばらずに、見栄をはらずに自宅の仏壇の前、あるいは寺で行うプライベートなものなのだ。
けっして葬式の中で、公衆の面前で、他人の目を気にしながら営まれるものではない。
「式中初七日」が行われることでなくなったものがあり、それは「還骨法要」(宗派により「安位諷経」とか名称は異なるが)だ。
火葬され遺骨になった死者と向き合う作業が省略された(もっとも初七日と合同することで、人々の意識からは既に消えていたかもしれないが)。
こうした簡素化は、今さら始まったことではない。繰り上げ初七日の後は三十五日か四十九日のどちらかを関係者を招いて営むことで終わらせてきた。
でも地方に行けば、皆を招くのは三十五日か四十九日を期して行う法事だが、間の7日ごとに身内と檀那寺の住職だけでひっそりではあるが営んでいるケースは多く見受けられる。
葬式当日の初七日法要が遺族に精神的に負担になるというなら省略してもいいだろう。
葬式当日の近親者の精神的負担は大きいので、初七日は、二七日(14日)に繰り下げて一緒にやればよいこと。
もはや葬祭業者が首を突っ込むことでもない。
「式中初七日」などという、無茶な簡素化、省略は、必然性を奪う。そのうち葬式すら営む意味を奪い取るだろう。
四十九日を仏教が広めたのは事実。
しかし、家族と死別し遺族になった人たちの心理に納得させるもの、必然性があったから支持されたのだ。
こうした根っこを無視して営む儀礼は、無意味を通り越して危険でもあるように思う。
東京の葬式にはこの他気に入らないものがある。
通夜ぶるまいを「お清め」という。「死のケガレ」を清める、となる。
「ご供養ですから一口でも」と通夜の会葬者に飲食をふるまうのだが、「死者との共食」に与らせたい、というのなら、あえて「清め」といわずに「供養」と言ってもいいだろう。「振る舞い」でもいいだろうし。
繰り上げ初七日の後の会食の席を「精進上げ」「精進落とし」という。
精進上げ、精進落としは、四十九日法要の後に行うもの。いっそ東北や長野で言うように、法要後の会食の一般的表現「お斎(オトキ)」でいいではないか。寿司や刺身といった生物を食す言い訳なのだろうか。
こんな慣習、単なる言葉の話ではあるが、変えていいではないか。
こんな奇妙な慣習を維持することが「葬送文化」を守ることを意味しないだろう。