2020年のオリンピック開催地が東京に決まった、ということで昨日はマスコミは大喜び。
日曜は夕刊休刊で本日8日の朝刊は休刊日なもので、事務所には号外が配られた。
「イスタンブールがいい」と思っていた非国民の私には、何とも退屈な話だが、その中に決まって「50年ぶり」という言葉が出てきたので、その言葉へ思わず反応した。
50年前の1964年4月、私は仙台から上京した。以来、約50年東京に住んでいることになる。
人生67~68年の圧倒的な過半を、私という東北出身の田舎者(イナカモノ)が東京に住んでいることになる。
でもこれは珍しいことではない。
東京人のほとんどは地方出身者である。
つまり「田舎がある」者である。
月遅れお盆が国民的夏休みになっているのは、その証拠である。
50年前、オリンピックに合わせるように東海道新幹線、首都高速、ニューオータニ等のホテル、環状7号線等が整備され、東京大改造が行われた。
ホテル、旅館のサービス料1割も、外国人客に不当なチップを要求しないように、とのことで制度化された、という話も聞いたことがある。
今回、50年前のオリンピックに合わせて準備最中の当時の映像が流されたが、いまから見ればずいぶんと時代を感じさせるものだ。
当時、歳末に仙台に帰るのに夜行列車を利用した。
それに乗るのに列車ごと、乗客が上野公園で並んだことを思い出す。
いまや東北新幹線で2時間もかからずに行く仙台に、当時は夜行列車を利用したのだ。
高度経済成長で日本社会は構造変化をした。
産業構造が変わった。
それによって影響を受けたのが、特に都市化とそれがもたらした地方の過疎化である。
その過疎化した地域が原発立地として狙われた。
農家が去り荒廃した里山がゴミ集積場として狙われるようなものだ。
高齢者単独世帯、二人世帯の増加は都市に進出した人たちがつくる核家族がもたらしたもの、あるいはおいてけぼりになった親世代の現在の姿である。
「あの時代は活気があってよかった」と回顧してばかりではいけない。
今日の社会、家庭の負があの時代を背景につくられた、ということを意識する必要があるだろう。
またあの時代の底抜けの明るさは、山谷や釜ヶ崎という負を特別なものとして追いやり、死や葬をタブー化する中で生まれたものであった。
それが時代の空気となった。
だからちょっと変であった。
死は自宅から病院へ、土葬は消え火葬が全国化した。
いまは80年代までは自宅で行われていた葬式も自宅では行われなくなった。
死が外在化した。
ちょっと、このついでに寄り道すると、
しかし、だ。
高齢者医療費の高騰を抑制すべく、在宅ケア(在宅死の推進)が注目されていている。
多くの地域では「できればいいね」という話の段階だ。
そんなに簡単に在宅で家族に温かく看取られる世界が復活するわけはない。
「在宅死」が減少した状況が変わらずに、全体が変わるわけがない。
どこかに無理がくるように思う。
同じく国や行政による「尊厳ある死」の推進。
「間違い」とは言えないが、言っている舌の根が何とも卑しい。
カネ、カネ、カネ…
「自由意思」は表明できる基盤があってできるもの。
「近親者に迷惑をかけたくない」と言う高齢者や難病患者の気持ちを利用しようとしているのではないか?
昔は本音は裏で語られるものだったが、今や堂々と語られる。
政治家が大声で「私は迷惑かけてまで生きていたくないな」と言う。
教唆でないかしら。
好きで高齢者になっている人もいるかもしれないが、死は自分ではコントロールできない。
もう相当前になるが、30頃の長男を病気で喪った母親が、80代の祖母(母親にとっては義理の母)に向かって
「何で年寄りが死なないで息子が死ななくてはいけないのよ」
と大声で痛罵したことを思い出す。
母親の息子を喪失した気持ちはわかるが、言われた年寄りも辛い。替わってやることはできないのだ。
震災の後、子や孫を亡くし、「替わってやりたかった」と嘆く高齢者が多いという。この話は直後からたびたび聞いた。
実際に年寄りを気にする家族に「いいから行け」と促した高齢者がたくさんいたという。
死は誰にもコントロールできないのだ。
「自由意思」という個人の基本的人権に属すものが汚され、穢されようとしている気がする。
そういえば、「グリーフケア」という言葉も相当危うくなってきている、と危惧するのは私だけだろうか。
へそ曲がりだから心配しているのだろうか?
どうも「理解が広まった」と単純に喜べないのだ。
死のなんたるかも知らずに心理学の授業でしゃべる教師の授業をうのみにして育っていく「専門家」が促成栽培されてはいないか?
学生さんは優しいから、間違った優しさも受け入れてしまってはいないか?
話は本日も焦点なし、でした。