妄想

朝夕が涼しくなり、「秋」を感じる。

姉が腸閉塞で入院した。
私も数年前に腸閉塞で入院したから、ある程度は推測がつく。

私の時はそれまで服用していた薬をすべて取り上げられ、その中に導眠剤が入っていたものだから、夜は起きていることが多かった。
その病院ではその階には夜間は看護師が一人勤務であった。
認知症の患者が数人いて、よくベルで看護師を呼び出していた。

外来用の看護師と病棟用の看護師には身体的に大きく異なる点がある。
それは病棟用の看護師は肩が張って筋肉がついていることだ。
病人を一人で抱え上げ、車椅子に乗せ…ということを日に何度も繰り返しているのだから、筋肉はつくだろうし、そうした看護師の方が安心感がある。

姉と私の違いは、姉が夜眠られないと訴えると睡眠系の薬が処方され、眠れるようになったこと。
もう一つは、私の時になかった鎮痛薬が点滴で投与されていて、始終ボンヤリしていることだ。

単純な腸閉塞であった私と、大腸がんが大きくなって腸の動きを圧迫したろう姉とは大きな違いである。

数日前に72歳になった姉のがん再発が発見されたのが6月。大腸から発したがんはリンパにも入り、肝臓、肺にまでおよび、終末期を示すステージ4と診断された。

「、Ⅳ期に至った場合はもはや治らず、あとは死を待つのみとなる。最も予後が悪い肺がんⅣ期の場合、1年生存率は10%程度、5年生存率は0%である。」

と書かれている。

手術は難しく、抗癌剤投与となるが、これは厳しい。生きている細胞までやっつけるので体力を痛めつける。
姉は「無治療」を選択した。
医師の「余命半年」という判断はあまり根拠がない、ということが言われていたので、抗癌剤で身体を痛みつけるよりは、私たちは5年はともかく3年は生きられるのではないかと観測(期待)していた。

だが案外と事態は速く進行しているようだ。

先日、きょうだい3人が揃い、姉の夫と息子5人で今後の希望を姉から聞いて確認してある。

その時私は「きょうだいではボクがいちばん先だと思っていた」と言うと、姉は「私もそう思っていた」と同意していた。
先日の62歳で死亡した従妹もそうだが、何か「自分を追い越していく」不条理(根拠は何もないのだが)を感じている。

母が死亡して1年後に姉のがんが再発。
長女である姉は父母を看取った。
姉は「家長」のような存在であるので、これは誰に、これは誰に、と役割をすべて配分している。準備に欠けるものはない。
埼玉のNPO法人の代表である須斎美智子さんの『もしもノート』が気に入って、それに書き込んでいる。

死を否定するものではないが、家族の死が必至である、それも近いうちに、ということを突きつけられると、けっこう脆いものである。
見守るしかない、無力感が心を支配する。

今後どういう経過を辿るか、一切が不明である。

私も67歳になるから、それなりに身近な者の死を体験している。
父母の世代の死はともかく、私たち世代の死は厳しい。
許されるならば姉より先に死亡したい、という想いが強くある。
まさに「自分中心」の発想でしかないが。

タイトルに記した「妄想」は上に書いたことと、まったく無縁というわけではないが、違う事柄である。

一昨日、ベランダでタバコを吸いながら、親しい数人からメールの返事がないことに気づき、不安になった。
彼らは私の思想、私の言動が破綻していることを知って、関係を断とうとしているのではないか、という不安である。
こうした認識が周囲に拡大し、孤立を強いられる、いやすでにその状態にあるのではないだろうか。
これは「妄想」ではなく、もはや「事実」ではないだろうか。

かりそめにも「思想」を考え続けた者としては、思想は徹底的に個的であり、それゆえ弧的なものであることを嫌というほど知ってきたつもりである。
もう共鳴は求めまい。
今、常とは別に取り掛かっている、おそらく「最後シリーズ」の原稿では、書ききりたい、と思うのだ。
だが、時間、体力、精神力が残されているか、まったく自信がないのだが。

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/