家族のこと

家族が終末期にある時、心理状態は穏やかではいられない。
毎日がふわふわして現実性がない。
何かできるならいいのだが、周囲ができることは少ない。

昨日、名古屋で姉に電話したら、一時の細い、小さく震えるような声ではなく、ふだんの声だったので安心していた。
「何がいい」と訊くと「二人静」だと言う。
駅中のみやげものやで訊いたら、案内してくれた両口屋是清という店の「二人静」
姉が言うには「口の中で溶ける」のだという。
それ3個と両国屋の他の菓子に海老せんべいの「ゆかり」を添えて宅急便で頼んだ。明日1日の午後に着く予定で。

でもいま家人から電話をしたら容態が急変、入院、ということになるらしい。
近くと少し離れた緩和ケア病棟と2つの病院で入退院を繰り返しており、緩和ケア病棟から出た薬が合うということで、眠れるし、少し食べられるし、痛みはコントロールできているようで、月曜に退院したばかり。

福岡県にいる4歳上の姉が、いわば我が家の家長のような存在で、両親も最期は姉に頼んだ。
最期は半身不随状態になった父は、下の世話を他人にされることが、尊厳を侵されるように嫌ったが、母ではなく、姉にゆるした。
99まじかまで生きた母は長く認知症を患った。
晩年の母にとって姉は「保護者」という位置づけだったようだ。

母を看取って1年、従妹がやはりがんで最末期、姉の再発がわかった。
わかった時にはステージ4。大腸からリンパに入って、肝臓、肺…と侵食。
最後にきょうだいで話そう、と上京予定の当日に倒れてかなわなかった。
後に兄と福岡県に行き、何から何まで話した。

それからも腸閉塞になるなど、がんは落ち着いてくれない。
「無治療」を選択し、抗がん剤の投与等の治療はせず、睡眠を確保することと、痛みの緩和だけの処置。

姉らしい思い切った決断だった。

できるだけ穏やかな日々を、というのが姉本人と姉の家族、われわれきょうだいの願いなのだが、安定している時間が短い。

1週間単位で容態が変わる。
昨日はよかったのにきょうは悪い。

同級生が亡くなるのもがんがほとんどだ。
2012年の人口動態では、死亡数が1,256,359人、うち悪性新生物(がん)による死亡が360,963人、率にして28.73%。
一時3割といわれていたが少し割合は低下したものの、もっともポピュラーだ。
本人の血縁だけでなく親しい人は1人につき10人としても360万人がこうした切なさを日々抱えていることになる。

家族のいのちは、やはり特別なものだ。
兄は姉と交信するために書けなかったメールも書けて使えるようになった。
携帯電話の時代になったこともあるが、兄とこんなに頻繁にやりとりするのは、お互いに一緒に暮らすことをやめてから初めてのことではないか。
電話では主語も何もなくても、姉のことについてであることがわかる。

姉の家族はわれわれきょうだいのことについて理解があるからいいが、これで姉が死んで、甥に「家族だけの家族葬をするから来ないでくれ」あるいは死亡して半年経って「母の遺志で家族葬をしました」などときたら、こっちは半狂乱になって怒るだろう。
姉の友人たちも黙ってはいないだろう。

事実、私の知人の女性は実の姉の死も葬式も知らされなかった。その悔いは痛く、深い。

高度経済成長期からバブル期までに変質した葬式は家族の手を離れた。その反動が最も近い者まで弾き飛ばすような小さく閉じた葬式を作り上げた。極端から極端に振れたのだ。

姉のブログのコメントを見ていると、ほんとうに心配してくれている人たちがいる。この人たちにとって私たちきょうだいとその家族は他人だが、姉を通じて確かにつながっている。
こうした姉を心配してくれている人たちに感謝する。

きょうだいというのは不思議なもので、子どもにとってはオジサン、オバサンという親戚にすぎない。
でも私らの感覚では、姉が姉の夫や甥に世話になっている、という感じなのだ。

従妹の時もそうであった。妹のような存在だったから従妹の夫が最後の最期まで優しく世話してくれたことに感謝する気分であった。

おそらく夥しい人たちが同じように家族の容態にやきもきしているだろうが、私たちきょうだいとその家族も一喜一憂しているのが現在である。

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/