謹賀新年―紅白とか、転向問題とか

2014年が明けた。

といっても特別なことはない。

昨夜23時頃に事務所を出て、ラジオで紅白を聴く。
松田聖子、SMAP、高橋真梨子、北島三郎の4人。
サブちゃんが50回を機会に紅白引退という。
まだ声が出るのがすごい。ラジオだから声のみなのだが、以前に比べると少し声が細くなった気がする。
そのサブちゃんが、紅のトリ、高橋真梨子、白トリ、SMAPの後の大トリ。

私は実は高橋真梨子贔屓である。
あの歌のうまさ、艶はずいぶんと前から惹かれていた。
同じような世代だろうと思ったら、私より5学年下であった。とすると団塊最後の世代あたりになる。

家の前に着いたら、近くの妙正寺の鐘が聴こえてきた。
冬だから鐘の音はよく響く。

年越し蕎麦を食う。

「生さだ」(「今夜も生でさだまさし」)を観ながら、いつものように、いつの間にか寝てしまう。
家人にいつも叱られるのだが、「ちょっとあくびをしたかな」程度で布団に入らないと、本人の注意を嘲るようにコトンと落ちてしまい、酷い時は、本人は全く覚えていないが、悪口雑言のオンパレードのようだ。
導眠剤を服用しているせいなのだが、きっと自己抑制していない自分の姿が出るのだろう。
というわけで、外に出かける時は、家人の厳しい言いつけによりシングルの部屋をとる。

本日、雑煮を食って、いつものように事務所に出る。
さすが車はすいている。いつもの半分の時間で着く。

青木新門さんの「新門日記」の12月分をまとめて読む。
ちょいとしたことで、新門さん、過去の日記を消してしまったらしい。
12月の新門塾には終わった後に駆け付けた。
2か月間、スケジュールが合わず行かなかったが、先月は青木さんが「子どものようにむくれて」(西舘好子さんいわく)中止したらしい。
日記ではなんか神妙に書いているのがおかしい。

新門さんとは長く新宿の呑み屋「火の子」で呑んだくれていた仲だが、最近は2人とも酒をほとんど呑まなくなったので、また「火の子」も閉店したので、顔を合わせる機会がずいぶんと少なくなっている。
新門さんとの付き合いも20年。
といってもほとんどが酒の付き合い。
ちょうど10年先輩で、新門さんが60年安保、私が70年安保という世代差がある。
2人で会っていてもほとんど話らしい話をしたことがない。
だから続いているのかもしれない。

たまにトークのようなことをすると、進行役は若年者の私の役割になるのだが、事前にあまり打ち合わせをしない。
それでいて新門さん、突然自分の世界に座をもっていく。
どうも「きょうはこれを話す」と決めていたらしい。
そこからは新門さんの独壇場である。
でもそんな新門さんが好きだ。
そこでは決まって、その時新門さんが自分が考えていることを本気で話し出すからだ。

新門さんの日記で、別にそれについて書いているわけではないが、「転向」という言葉が出てきて、久々だったので、ぐっと刺激された。
新門さんは「戦後のひととき転向ということが問題になった。しかし転向を必要としない物の見方があってもいいのではないかと考える。」
と書いているだけである。

しかしギリギリ詰めれば、どこかで世情にぶちあたる。ぶち当たればそこに軋轢が生じる。そこで問われるのだ。
警察に捕まり、即投獄される、という戦前~戦中の時代とは異なるが、そこで家族が社会的に不利益を被るとかさまざまなことが生じるのではと考える。あるいは就職に不利になるとか。

私は「そんなことはどうでもない」と言い切ったが、それは誰にでもできるものではない。
私が自らに課したのは言い切るのは自分の範囲に留め、他者には言うまい、ということであった。

思想というのは厄介なもので、それが社会性を帯びれば、陰に陽にそれは日常生活に影響を及ぼす。
幸いにも自分の家族においてそうした問題は生じなかったが、レッテルを貼られ、ずいぶん苦労した仲間もいる。

「転向論」というのは、若い頃、吉本隆明の影響を受けて切実な課題であった。
私も「あいつは転向した」と言われた経験がある。
他人が自分と意見や立場を異にするだけで、安直に「転向した」と言う奴が多かったのには腹が立ったものである。

歴史的に整理しておくと、「転向」とは、直接的には昭和10年頃から敗戦までの間で、共産主義者等が当時の第二次大戦に向かう世情の中で「転向」の表明をさせられたこと、あるいは「転向表明」はしなかった思想家たちがどうであったか、という問題である。
あの時代に知識人はどういう思想的対応をしたのか、という問題である。
獄中死んだ者もいる。
転向して翼賛する側に転じた者もいる。
戦後、その人たちがそうした転向、非転向をどう自分の中で折り合いをつけたのか、という問題でもある。

多くの人が「仕方がなかった」と弁明したが、「仕方がなかった」という言葉で終わらせたくなかった。

私たちが学生運動に身を投じた時、多くの大人たちから「おまえらは今自由だからそんなことができる」と散々批判された。
だから余計に思想のありようについて意識した。

私ら「戦後の子」にとっては、眼の前にいる大人たちのことであり、たとえば父親の問題であった。だから極めて関心が高い問題であった。
「自分ならどうしたろう」という自分に突きつける課題としてあった。

そして激しい手ひどい挫折も経験したが、「仕方がなかった」という言葉は用いたくなかった。今もその気はない。

元旦早々挫けた。

実はこの後、長々と書いたのだが、許容量を超えたらしく、消えてしまった。
なんのことはない。
新門さんと同じことをやってしまった。

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/