402回「家族葬がはらんでいるもの 」あいかわらず滑舌悪いです。
揺れ動く日本人の死生観
変わる葬送
3回に分けて掲載する。
第1回 葬送は戦後二度目の転換期、高度経済成長が招いたもの
第2回 バブル崩壊以後の個人化、超高齢社会の到来
第3回 日本人の死生観と神葬祭
※再掲載にあたり、データは基本的に当時のまま、とした。
バブル崩壊以後の個人化
墓の変化が起こったのは平成の時代になった時期から。
「家(イエ)」を失い核家族となり、墓の承継の困難さが課題となったことによる。
イエは幻想であったとしても永続性を観念したものであり、墓や仏壇はその象徴としてあった(この観念の普及も実は昭和初期以降のもの)。
だが戦後民法に位置づけられた家族とは一代を本質としたものであった。
娘だけの世帯、子のない世帯、単身者、離婚の増加。
永続を前提とした家の枠外の人が増加した。
これに対し家墓システムは無力であった。
永代供養墓の先駆けの一つが京都の「女の碑」である。
戦時中に結婚適齢期を迎え、適齢の男性の多くを戦争で失い単身を余儀なくされた女性たちが、自分たちの墓を求めたものであった。
都市化、核家族墓ブームが招いたのは地方の放置された歯抜けの墓地であり、大都市周辺の墓地造成による自然破壊。
それへの反省と反発が散骨(自然葬)や樹木葬等の自然共生型の葬法を生み出し、人気を呼ぶところとなった。
葬式が自宅葬中心から自宅外へと出て行ったのは、自宅での死が少なくなり、病院等の施設に移った結果が招いたものである。
また地域共同体と個の違和感が招いたとも言える。
斎場(葬儀会館)葬は、自宅葬では地域の人が無遠慮に台所にも侵入し、自分も遺族であるのに、弔いに専念できず働くことから逃れられない遺族の女性たちが望んだ結果であった。
今や大きな式場を中心としたものではなく、自宅替わりの小ぢんまりとした、式場より遺族控室が充実した斎場(葬儀会館)が求められている。
バブル崩壊から3~4年後、不況が生活に及んできたと感じられるとともに、葬式では大きな祭壇が評価を失い、それまでの社会儀礼色が強かったことに反発するように反社会儀礼とも言うべき近親者中心の小型葬が急増した。宮型霊柩車も急速に人気をなくした。
永六輔の『大往生』(岩波新書)が200万部を突破する大ベストセラーとなり「死が茶の間でも話題にされるようになった」と言われたのが1994(平成6)年のこと。葬式をしない火葬だけの「直葬」は、かつては経済的事情や特殊事情から余儀なく選択されたもの。
だが死のタブーが崩れ、葬式が近所の視野から隠れ、一般の人も選択するようになった。
「葬式をしない」ことだけが批判されるべきことではなく、この背後には家族の解体、企業共同体の崩壊による絆から逸れる者が増えた社会的現実を見なければならないだろう。
そもそも共通した死生観を戦後日本人はもっていなかったのではないか。
数字的に挙げるならば、平均会葬者数は2005(平成17)年の公正取引委員会調査ではバブル期の半減以下の132名になり、2011(平成23)年の経産省調査では114人となった。
但し全葬儀の67%が100人未満の葬儀であった。
1991(平成3)年には平均会葬者数が280名であったから、これに比すと半分以下の59%減となっている。
NHKの「無縁社会」(2010年)の調べでは、誰かも特定できない行旅死亡人が全国で年1千人、縁者はいるが引き取ることを拒否された死亡人が年3万1千人。
推定ではあるが引き取り手はいても死体処理的に火葬だけをされた死亡人は年10万人はいるだろう。
この数はますます増えている。
年間死亡者数の1割は弔う親族がいない、と思われる。
※「2015(平成27)年人口動態統計(確定数)の概況」(2016年12月5日公表)では出生1,005、677人、死亡1,290,444人…なので約12~13万人程度となると思われる。
日本の高齢化の進捗は著しい。
「高齢化率」とは全人口に対する65歳以上人口の占める割合をいい、国連では高齢化率7%~14%を「高齢化社会」とよび、高齢化率14%~21%を「高齢社会」と呼び、高齢化率21%以上を「超高齢社会」とよんでいる。
日本は1950(昭和25)年には高齢化率は5%未満であったが、1970(昭和45)年に7%を超えて「高齢化社会」に入り、1994(平成6)年には14%を超えて「高齢社会」となり、2011(平成23)年には23.3%で世界一の「超高齢社会」となっている。)
2013(平成25)年には4人に1人が高齢者に、2035(平成47)年には3人に1人が高齢者になると推定されている。