鵜飼秀徳『無葬社会』を紹介する前に、前著『寺院消滅』を紹介しておこう。
この書評を書いた日付は2015年8月31日になっている。
『週刊現代』に書いたもので掲載は2015年9月の中旬ではないだろうか?
鵜飼秀徳『寺院消滅―失われる「地方」と「宗教」』(2015日経BP)
著者は仏教寺院の「消滅可能性」を警告しているのだが、本書で紹介された現実を見るならば、寺院の消滅はすでに進行中なのではないか。
著者は、14年に発表され、衝撃を与えた日本創生会議(座長・増田寛也元総務相)の
「2040年には全国の自治体の49・8%が消滅の可能性がある」
との指摘を受け、伝統仏教教団に属する寺院は3分の2になってしまう、と試算し、警告している。
確かに地方都市が消滅するのに寺や神社だけが生き残ることはありえない。
著者は、地方寺院の存立危機的状況を丹念に描いている。
だが、これまで、こうした現実が露になって来なかったのは、著者が指摘しているように、大都市寺院と地方寺院の間に大きな格差があるからである。
あいかわらず世間の仏教寺院に対する評価は「葬式仏教」「坊主丸儲け」という言葉に象徴されるように冷たいものが多い。
それは都市住民による大都市寺院の評価に過ぎない。
そして存立が厳しい現実にあるのは何も仏教寺院だけではない。
神社もキリスト教会もまた同様である。
本書が説得的なのは現状レポートに留まらず、歴史的視点を導入したことによる。
近世の江戸幕府による宗旨人別帳、明治維新の廃仏毀釈、宗教団体の戦争協力、戦後の占領軍による農地解放、高度経済成長による都市化がもたらした地域共同体の崩壊という過去、そして現に露呈している地方の過疎化、少子高齢化。まさに仏教寺院は歴史に翻弄されてきた。
だが著者が指摘するように、仏教寺院は自覚的に対応してきてこなかったし、今もしていない。
いわば「被害者」意識なのだ。これは近世以降の日本社会の構図そのものではないか。
戦後日本が平和で経済的に成功した、などというのは現実を見ない戯言である。
民衆の生き死にを精神的に支えるであろう宗教も文化も根絶やしにしようとしているのではないか。
本書では現実に抗して苦闘している仏教者がいることも同時に紹介されている。