火葬事情の実態

鵜飼秀徳『無葬社会』の書評の中で
最初に書かれた「火葬10日待ちの現実」は少し走りすぎ。
昨冬は死亡者数が少なく火葬場経営者が青くなったのは有名な事実。
「待ち」が出るのは葬儀時刻帯が似たよりなため混む時刻が決まっていること、東京では斎場(葬儀会館)が少なく、火葬場付きの式場人気が高く競争になること、決して「火葬場が混んでいる」わけではない。
また、名古屋が解消したが、本来火葬場を新設または改造したいのだが地域住民の反対によって妨げられている事例だ。
将来的には問題がないわけではないが、今の問題ではない。

と書いた。

この問題については、よく読まれている「考える葬儀屋さんのブログ」で


「無葬社会」鵜飼秀徳氏が流すデマを批判する

で、過激に「火葬10日待ち」状態という話は、デマです。」
と書いている。
併せて読んでいただくといいだろう。
多死社会となると「火葬は間に合うのだろうか?」という危惧はすぐ言われる。

東京は全国では珍しく民営が多い。民営の火葬場は先も見て経営しているので、とりあえずすぐパニックになる状況にはない。

問題はむしろ震災。
これは地域協力等で対処していかなければいけない問題。
これはどの地域でも同じ問題である。
東日本大震災で土葬はもう日本では選択肢ではないことが明らかになった。

よく言われる誤解は「東京の火葬料は高い
というもの。

実際の検証は火葬研の武田至さんがやっているが、民営だから高い、ということはない。
コストという意味では全国の火葬場では1体あたり約6万円前後はかかっている。

地方で無料とか1万円とかがあるのは、差額を自治体が負担しているからだ。
かかるものはかかる。

ある地方都市の首長さんから火葬場の運営について相談を受けたことがある。
サービスを充実するための財源がないというので、
「市民から1万円でも取ったらどうですか?」
と話したところ
「それだけはできない。そんなことをしたら選挙で落ちる」
と言われたことがある。
そこは火葬料が無料であった。

「社会福祉」という位置づけなのだが、地方自治も財源不足で悩んでいるのだから、負担できる市民には負担を求めていいのではないか。
負担できない人にまで負担させる、と言うのではない。
実際にはコストがかかっていることは、せめて市民に知らせる義務があると思う。
知ったうえで市の予算で手当てするのは市の自由だが、コストがかかっていることに関心がない、知らない市議も少なくない。


葬儀費用について「安ければいい」という意見があるが、「適切なコスト」と考えていく必要がある。

今の葬儀の安さ競争、度を超すと葬儀社に勤める従業員の人件費の過度な圧迫につながりかねない。
低賃金で過重労働・・・「ブラック」企業になりかねない。

「葬儀費用」に消費者の関心が高まるのは結構だが、時々度を越しかねない時がある。
消費者運動に携わっている人たちの意識も相当変わってきたが、まだ中には差別意識から「高い」と宣わっている人がいるのは困りものである。
「安さ」を求める消費者が「ブラック」企業を生む、というのは残念なことだ。

葬儀社や寺院攻撃はときおり「死」に係わる者への差別、偏見が関係していることが少なくない。


普通の眼で適切に考える、ということが必要だ。

 

 

広告

投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/