今年は年賀状を書いていません。
皆さんにとっていい年でありますように。
私はボチボチやっていきます。
個のレベルから見た死と葬送(6)
基本としてここに描いたものはフィクションである。
私の周辺で生じたものが多く含まれているが、当事者の心象に投影して描いている。
⑩祖父の記憶
私には「祖父の記憶」というものがほとんどない。
物心つく前に死亡しているからだ。
父方の祖父の晩年は、末子で、むずがる赤ん坊の私を背負い、近所のサル小屋に連れて行くことを日課としたらしい。
孫である私の面倒をよくみた好々爺だったらしい。
輝かしい学歴、期待されて海軍将校への道を進んだ。
だが、何があったか、軍を中途退役した。
後から調べれば、軍縮の時期に照応している。
その後、商売を始め、失敗し、父親(つまり私の曽祖父)が将軍としてなした半端でない財の全てを失った。
東京帝大仏文科卒という学歴を隠し、女学校の用務員となった。
老後、といってもまだ50代だったが、長男(つまり私の父)一家の世話になっていた。
60代の初期、生涯を終えた。
でも挫折してくれて、ただの無名の生活破綻した一老人として最後を終えてくれた祖父を私は晴れがましく思う。
下手に軍人として成功し、立身出世したならば、と考えると戦慄する。
祖父が失敗したから、父たちのきょうだいは生活苦で呻吟し、ある者は養子に、ある者は家出し、ある者は自死を選ぶ等、個々にはけっして幸せでなかった。
だが、少なくとも戦犯の負い目からは逃れることができたのだと思う。
祖母や大叔父の前では、人生の落伍者となった祖父の話は生前禁忌だった。
しかし、孫でほとんど祖父についての記憶をもたない私には、なぜか近しい感覚がある。
私と同じ匂いをもっていたように思えるからだろうか。
それぞれの家族には、それぞれの死者たちの記憶がある。
それは成功者としての歴史だけではないはずである。
そういえば、当時2階に飾られていた、髭を生やし、勲章がちりばめられた軍服に身を包んだ曽祖父の写真は今どこに行ったのだろう。
⑪「娘」の死
人づてに聞いた話に戦慄することがある。
彼女に久しぶりに便りを出そう、と思っていた矢先のことであった。
話は確かな筋からのものだったから、それを事実と受け止めるべきであったろうが、私にはその事実を受け入れることを拒否するものがあって、彼女の父親にメールを送った。
「先日、はなはだ信憑性のない話を耳にし、それを根拠にお便りすることをお赦しください。ご一家のうえに何かあったとすれば、と深く危惧しております。嘘であればと思っております」
それへの返事はむごかった。
「ごめんなさい。哀しいことに本当なのです」
その先をすぐに読み続ける勇気がなかった。
メールには娘への切々とした親の気持ちが満ちていた。
「その時、その時、その時で、一所懸命に生きてきた恵(仮名)、と受け止めてあげたい」
「精一杯、律儀に生きようとしてついにくたびれたわがまま娘をゆっくり我家に休ませてやりたいと思っております」
泣き喚いてくれたほうが、どれだけいいか。
親が泣かないのに、こちらはどうすりゃ…。
私にも彼女と同年の息子がいる。
「子の死は自分の未来を失うこと」というが、そんな甘っちょろい話ではない。
私はどうしたらいいのか、まだわからない。