彼の死後、同級生―個のレベルから見た死と葬送(7)

個のレベルから見た死と葬送(7)

基本としてここに描いたものはフィクションである。
私の周辺で生じたものが多く含まれているが、当事者の心象に投影して描いている。

⑫彼の死後

その男の写真とプロフィールは彼の創設した会社のホームページに今も残っている。

彼が創設したとはいえ、それは彼のフリー編集者としての事務所で、晩年(といっても
40代)には、ほとんどボランティアとして医療活動の事務局を担った。
その傍ら、その関連の人たちの手記を、自費出版に等しいものを、事務所の社名で細々と世に出した。
類を見ないほど生真面目に、無骨に、彼は生きた。


彼が病死したのは
48歳であった。
彼の死とともにその事務所は閉じられたはずであった。
なぜならそれは彼個人の事務所に等しかったからである。


ある日、新聞を見て驚いた。
その時世の中を席巻したメガ・ベストセラーの出版社の名が彼の事務所名で、その翻訳・発行者名として彼の配偶者の名が出ていたからだ。


その成功は、彼の没後、彼女自身の手のみで達成したものであったが、いつのまにか彼女の成功物語の重要な序章に彼が位置づけられていた。


彼の生前、一時は一緒に仕事をした。
歳は私のほうが下だが、
10年くらい、よく新宿御苑のスナックで呑んだ者としては、複雑な想いがした。
彼は報われず、地味に生きて、死んだ。
その彼を、彼女は、表舞台に自らと一緒に、必死で引き上げた想いがしたからである。


彼女の愛を見るか、彼の困惑を見るか。

⑬同級生

彼は同級生であった。


小学、中学、そして高校の1年まで同じ学校だった。
というのは私が高校2年で転校したからだ。

中学時代、彼は柔道を、私は篭球(バスケットボールのこと)をしていたから、あまり交わることはなかった。

昨年秋の同級会での様子が忘れられない。

彼は少しやつれた顔で
「千葉のがんセンターに通っている」
と私に淡々と話した。

そして同級生の皆の顔を瞼に焼き付けておくかのように、静かに皆の様子をやわらかい目を細めるようにして追っていた。

その彼が死亡したとの報せは、やはり同級生のKからであった。
地元の病院で、家族が見守るなか、静かに息を引き取った、と。


私が知るかぎり、現在2名の同級生ががんに罹っており、それも聞くと末期のようだ。


1人、2人…と櫛の歯が抜けるように同級生が欠けていく。
20歳を前にして死亡したのが2人。
50歳を前にして死亡した者が2桁。

先に死亡したのには女性もいる。

その一人、彼女は、中学時代、脚が速く、陸上部で活躍していた。
日焼けした顔でチャーミングに微笑んでいた顔を記憶している。

早くに地元を離れ、早くに結婚し、料理店の女将となり、早くに死亡した。

黙っていても、死は向こうからやってくる。

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/