個のレベルから見た死と葬送(9)
基本としてここに描いたものはフィクションである。
私の周辺で生じたものが多く含まれているが、当事者の心象に投影して描いている。
弔われなかった死者たちの「葬」
「葬」とは、歴史的に見れば多様である。
大昔であれば、死ねば山や野に、いや川原や路端に捨てられたこともある。
聖たちがその死体を集めて火をつけ燃やし、その跡地である塚に名をつけて歩いたとされる記録もある。
中世から近世にかけ、戦場や災害で死んだ者の死体は、集められ、大きな穴が掘られ、そこに投じられ埋められ、その跡は「塚」等と呼ばれた。
大昔でも、死者を棺に入れ、集落の近くにハカを設けて埋葬したり、死者を担ぎ、霊の他界への入口と伝えられた聖なる山の麓に置くことで葬ったこともある。
近世になると、民衆へも、死者には「戒名(法名)」と言われる死者への名の贈与が行なわれ始めた。
他界へ旅立つ餞のように。
もとより無名のままの死も多かった。
今も世界では、戦災や大災害での死者が、名もなく葬られることが起きている。
日本でも、わずか半世紀余り前の第二次大戦中の戦地や被災地では、個々の名を記録されない「葬」があった。
それを悔いて、一人ひとりの死者の残滓を探す旅も戦後70余年を経た今でも続けている人がいる。
「施餓鬼」、毎年寺で行なわれるその場には、集まる者たちの血縁等の死者だけではなく、名もなく葬られた死者たちへの深い悔恨や慙愧があるだろう。
「葬」が揺れる今、弔われなかった非業の死者たちの「葬」にも目を向けることがあっていい。
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