個のレベルから見た死と葬送(10)
基本としてここに描いたものはフィクションである。
私の周辺で生じたものが多く含まれているが、当事者の心象に投影して描いている。
死んだ戦友に義理立てした父
「親爺、もういいじゃないですか」
従兄が叔父を大声で制した。
叔父が「父の葬式をなぜしないのか」、「寺に断らずにいいのか」、と私に向かってなじっていたからだ。
叔父の気持ちも充分に理解していた。
「私たちもできるならば葬式をしたかった。
だが、これは父自身の家族への言いつけだった」と叔父には繰り返し説明した。
「寺の墓はどうするつもりだ」と言う叔父。
今までずっと叔父が長男である父に代わって寺との付き合いをしてくれていたから、私は「叔父さんがいいように」と答えるしかなかった。
父は戦争末期に学徒動員された、という話は聞いたことがある。
でも父は生前そのことについて詳しく語ることはなかった。
ただ葬式については、頑なに「俺の葬式はけっしてするな」と言うだけだった。
叔父は肩を落として呟いた。
「いいじゃないか、せっかく生きて帰ったいのちなのだから。葬式されないまま死んだ仲間にそこまで義理を通さずとも」
父にとっては「戦友」という存在が、懐かしさよりも、散乱し片々となった生温かな死者の感触として常にあったのだろう。
傷みをもって想起し続けた仲間だったのだろう。
その父の想い、頑強なこだわりを大切にすることが死者たちへの追悼でもあると私は思った。
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