葬送問題のコンテキスト 「NPO法人が切り開いた葬送の多様化とその将来」

このところ紹介すべき本の紹介がしきれていない。
3冊を本の表紙だけ紹介しておこう。いずれも優れた本。出版順に

①星野哲『「定年後」はお寺が居場所』(集英社新書)


②松島如戒『私、ひとりで死ねますか―支える契約家族―』(日本法令)


③瀧野隆浩『これからの「葬儀」の話をしよう』(毎日新聞出版)


星野さんは立教大学社会デザイン研究所研究員、元朝日新聞記者。
松島さんはりすシステム創始者。
瀧野さんは毎日新聞社会部編集委員。
お三方とも私と親しい関係にある。

これからが本文

葬送問題のコンテキスト 
シンポジウム「NPO法人が切り開いた葬送の多様化とその将来」

201882413001430 エンディング産業展で「NPO法人が切り開いた葬送の多様化とその将来」と題するシンポジウムが開催された。
当日配付資料を100部作製し持参したのだが、少々残ったようなので、90名以上の方が参加した模様。
会場が100人定員だったので、会場はいっぱいになった。

パネリストは、葬送の自由をすすめる会副会長の西田真知子さん、りすシステム創設者の松島如戒さん、エンディングセンターの井上治代さん、そしてコーディネータは当時を知る人間というので私が指名された。
西田さん
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松島さん

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井上さん

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西田さん、松島さん、井上さんの順に各15分ずつに最初に発表した。
全体が90分しかないので、私の進行の不手際があり、ディスカッションの課題として4つ用意したものが、「NPO が果たした意味、意義、問題点」だけで終えた。
私としては消化不良の感があったが、聴く側としては90分という短くない時間であったので、けっして短い時間ではなかっただろう。
そこで「解説」として私が用意し、当日も用いた資料に参考写真を加えて以下に示す。

 

■墓の略歴


★墓地は古来よりある。

★民衆が墓をもったのは室町後期(戦国時代)以降。

★江戸時代までは個人単位の墓が多い。

★明治末にコレラ流行を機に政府が火葬を推進、明治民法が「家」を単位にしたため以降「家墓」が人気に。

1960年火葬率6割を超える(現在ほぼ100%)

1970年代より都市化の影響で大都市周辺で墓地開発が急増。自然破壊が問題に。墓石のブランド化、墓石に家紋入れが流行

1980年代後期 墓システムが問題化

1991年バブル景気崩壊で墓地需要急低下。少子高齢化多死社会が問題に。

2011年経産省調査。墓新規3割。うち3分の1が永代供養墓、散骨、樹木葬等の新形態を選択している実態が明らかに。


■永代供養墓(合葬墓)

「合同墓」「共同墓」「合葬式墓地」とも
個別納骨⇒13年、33年を経て承継者がいない場合に合葬、最初から合葬の大きく2つのタイプが

★「承継者の有無を前提としない墓」

 「血縁」から「結縁」へ

★跡継ぎがいないかわいそうな人のための墓(無縁塔)ではない。

★人間の生き方はさまざま。
それぞれの生き方、生を尊重し、承継者の有無にかかわらず寺あるいは墓地が責任をもって供養(管理)

★「永代供養墓」1985年比叡山久遠墓が最初

1990年前後(19891991

 新潟 妙光寺「安穏廟」(小川英爾さん)
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京都 女の碑の会「志縁廟」(谷嘉代子さん)

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 上から1979年12月に京都・常寂光寺に建立された「女の碑」、中、1989年11月に建立した「志縁廟」、下、谷嘉代子さん

  東京 「もやいの碑」(松島如戒さん)
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 マスコミが話題に

 

★現在、約2000? 今、改葬(お墓の引っ越し、墓じまい)先としても注目。遺骨処分場になるケースも

※当日は女の碑の会「志縁廟」の写真を紹介できなかったが、雑誌『SOGI』19号(1994年)に当時は花園大学教授だった谷さんに寄稿いただいており、そこにあった写真が上の写真である。

 

■散骨(自然葬)

 

1991年 葬送の自由をすすめる会が相模灘で散骨実施 
 「自然葬 (しぜんそう)とは、墓でなく海や山などに遺体や遺灰を還すことにより、自然の大きな循環の中に回帰していこうとする葬送の方法の総称」(初代会長の安田睦彦さん)
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上、安田睦彦さん、下1993年3月宮城県大森山再生の森での最初の山での自然葬(葬送の自由をすすめる会)

1994年 東京・公営社「海洋葬」 企業による散骨の最初。
今は小型セスナ機、ヘリコプターによる海上散骨も

2014年 一般社団法人日本海洋散骨協会「海洋散骨ガイドライン」


■樹木葬

 

★墓地として許可を得る(粉骨の必要なし)。

1999年岩手県一関市で祥雲寺(現・知勝院)が樹木葬墓地を開設。
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中、前住職で開創者の千坂げん峰さん

森を墓地としての許可を得て、自然との共生という理念に共感する人が墓地として使用することで自然育成・保護活動を支援。
穴を深く掘り、遺骨を骨壺なしで埋蔵し、埋蔵地に花木を植える。半径1メートル以内の占有使用権を最後の埋蔵後33年に限り認める。そのエリアの共同利用は可。承継者がいなくとも改葬することはない。

★エンディングセンターが2005年「都市型樹木葬」として東京・町田いずみ浄苑内に「桜葬」。

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(エンディングセンター)

その後「樹林葬」とか、「墓石の代替に樹木」と解釈され、さまざま理念なき世界に。

 

■生死の境界と「生前契約」


★「生」「死」の分断。死のタブー。

1985年頃より「終末期ケア」が課題に

1990年頃より「墓システムの矛盾」が提起

1995年頃より「葬儀の個人化」が進む

2000年頃より「死別によるグリーフ」が問題に

 終末期ケアと葬儀の双方から「本人のケア」と共に「家族のケア」の重要性が提起

 成年後見制度施行

2010年頃より「終活ブーム」
 経産省「ライフエンディング・ステージ」という概念で終末期と死後事務等の連続的支援を提起

2015年頃より

 単身世帯の増加(一般世帯の3分の1)で「ひとり死」が課題に

 

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/