人生は統計どおりにいくわけない

 

「人生90年時代」と言われる。
(「100年時代」と言われることがあるが、少し早すぎ)
女性の寿命中位数(過半数が生存する年齢。出生者のちょうど半数が生存すると期待される年数)が、90年を超えたからである。

 

最新の簡易生命表(2017【平成29】年)によれば、寿命中位数は男性84.08年(平均寿命81.09年)、女性90.03年(同87.26年)となっている。

以下の原稿は201612月に書いたので、雑誌掲載は20172月頃であろう。
※データは執筆当時。

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今、私は71歳を目前にしている。

 

この年齢、いささか中途半端である。
80
歳を超えた先輩からは「まだまだ若い」と言われ、50代以下の人たちからは「賞味期限切れ」「老害」と言われる。

 

「高齢者」という枠組上も中途半端である。
75
歳以上は「後期高齢」で立派な高齢者扱いだが、「65歳以上75歳未満」は「前期高齢」とされて「高齢者予備軍」扱いである。

 

データで見てみる。
最新の「平成27年簡易生命表」によるならば、「平均寿命」と言われる0歳児の平均余命は男性80.76年、女性86.99年となっている。
戦後最初の昭和22年には男性50年、女性54年であったから、この70年で日本人の寿命は30年も伸びたことになる。

 

「寿命中位数」というのもある。
「生命表上で、出生者のうちちょうど半数が生存すると期待される年数」のことであり、これでは、小数点以下を四捨五入するならば男性84年、女性90年になる。

 

私が後何年生きるか?というのは平均的な予測では1416年である。
ところがこれはあくまで統計上の話に過ぎない。

 

人生は統計上の推測どおりにはいかないのだ。
私の中学の同級生の約2割はすでに人生を終えている。
早い者は10代で死んだ。
40
代からがんで死ぬ者が多くなった。
この1年間に死亡した同級生は10名近くいて、その7割は女性であった。
女性が長生きなどとは決まっていない。

 

女性の寿命中位数が90年ということは、90歳には同年の人の半数がすでに死亡しているということだ。
そして生きていても80歳台になると認知症になる可能性が急激に高まり、あくまで平均的な話だが、85歳を超すと要介護の生活になる可能性が高まる。

90歳を超えても、100歳を超えても元気な人はいる。
「健康」はブームでテレビや雑誌でも関心が高い。
しかし、誰もが元気な高齢者になるわけではない。

 

私の母は3年前に98歳で死亡した。
長寿だったが、10年以上を認知症で要介護の終末期を送った。
そして1年後に母を看取った姉が72歳で死亡した。
その1年前には従妹が62歳で死亡している。

姉も従妹も死亡の約1年前の健康診断でがんが発見された。
すでに後期のステージⅣで、従妹は13ヵ月後に、姉は11ヵ月後に慌ただしく死んでいった。

 

従妹、姉、同級生の死を経験すると、71歳の自分が生きているのは、たまたま、運でしかないと思う。
同年代や年下の者の死は何とも辛い。

 

小児がんで子どもを亡くした親の集まりに参加したことがある。
子が15歳で入院し20歳で死亡した親は、10年経過しても子の死をきのうの死であるかのように想い、心を傷つけていた。

死亡後の喪は1年とは決まっていない。

 1ヶ月後に早々と死者を忘れる人もいる。
他方、10年経過してもまだまだ喪の最中にいる人もいる。

 

従妹、姉の終末期の1年は、私にとって濃密な時間であった。
死亡後は、しばらく虚脱感から脱せないでいた。
私は今死を刻んで生きている。

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/