本日(2019【令和1】年5月1日、葬研.comの「碑文谷創の葬送基礎講座」(毎月1日、15日頃更新予定)が更新された。
第3回 格差社会の葬送とは―いま、葬送が抱える課題とは?(3)
https://葬研.com/himonya3
これまでの2回は、
第1回 週刊誌は終活で大騒ぎ―いま、葬送が抱える課題とは?(1)
https://葬研.com/himonya1
第2回 「少子多死社会」ということ―いま、葬送が抱える課題とは?(2)
https://葬研.com/himonya2
「人並みの葬儀」ということが言われたのは戦後高度経済成長が始まった1955(昭和30)年頃からである。
それは戦中・戦争直後という翻弄され疲弊した長い時代(※)が終わり、戦後の朝鮮戦争特需を経て「もはや戦後ではない」(1956年経済白書)と言われた時代以降のことである。
そして「人並みの葬儀」の時代はすでに終了している。
1991(平成3)年のバブル経済の崩壊を機に、日本経済は大きく変動する。
当初は「いずれ経済は戻る」という期待が「このまま経済不況は続く」という思い、気分が拡がり、
1995(平成7)年の6千人を超える大災害「阪神・淡路大震災」ショックが社会風潮を大きく変えた。
1995(平成7)年は富裕層すら「宝石を買う」のを控えた年であると言われる。
葬儀はこの年に「家族葬」が登場し、「個人化」に大きく舵を切る。
さらにこれを加速したのが2008(平成20)年のリーマン・ショック(世界規模経済恐慌)である。
葬儀の個人化は、「その人らしさ」ということだけではなく、経済的な意味での格差を意味していた。
個人化がバブル経済崩壊、リーマン・ショックという経済的大事件を契機にしていることでもわかるように、不況と大きくリンクしている。
そのことの傍証として今回の「格差社会の葬送」で例にあげたのが、葬式費用の分布と所得分布の類似性である。
すでに葬儀は、「人並み」や「平均」を論ずる時代ではなくなっている。
※「戦中・戦争直後という翻弄され疲弊した長い時代」とは、一般には1935【昭和10】年の日中戦争【当時は北支事変、支那事変と言われた】から始まり太平洋戦争の終結(1945【昭和20】年)、とそれに続く1955(昭和30)年頃までの混乱期を加えた20年間を指す。
日本社会は20~40年を区切りに転変してきたといえる。それは一人の人生、時代が共有される年限でもある。
私は西暦で数える人間だが、ここでは西暦と和暦を並べている。平成の30年間が振り返りとして注目されるのは30年というちょうどいい長さも影響しているのではないか。10年は短すぎ、50年は長すぎる。
人も死後30~50年でもって弔い上げとされているのは、同じ人生、時代を共有した人間がほぼ次の世代に譲り渡すということに照応しているように思う。
いつも、参考になっております。
今後ともよろしくご指南ください!