本日は2部構成である。
■葬研 更新
昨日(8月15日)に連載している葬研「碑文谷創の葬送基礎講座」が更新された。
ネット系葬儀斡旋事業者が抱える問題点
https://souken.info/himonya10
イオンライフ、小さなお葬式、よりそうのお葬式(旧・みんれび、シンプルなお葬式)が消費者庁から景品表示法の不当表示「有利誤認」「優良誤認」と認定され、措置命令を受けたことを、消費者庁の公告を紹介している。
悪質なのはイオンライフで2回受け、1回は課徴金納付命令が出されている。
これについてはすでにさまざまな報道がされている。
今回は主観を排し、消費者庁の公告をそのまま掲載した。
彼らが参入にあたって、
「新規ですが、いろいろ勉強させてもらって、消費者の方々にとっていいサービスを提供できるよう努めます」
という謙虚な姿勢を示したなら,こうした問題は生じなかっただろう。
葬儀業界にも改善すべき課題は少なくないのは事実である。
だが彼らが間違ったのは、葬儀という仕事の本質も現実も学ぼうとせず、葬儀業界は遅れた業界で、もはや不明朗会計で、消費者のことを考えていない、と断じ、われこそは「消費者の味方」という顔で参入したことだった。
葬儀は現場の葬儀社に委任するのに、現場の葬儀社から学ぼうとせず、「教えてやる」みたいな高飛車。最初から上から目線でいたことだ。
実はこうした目線はネット系葬儀斡旋事業者独自のものではない。
1995(平成7)年以降、特に2000(平成12)年以降に新規に葬儀業界に参入しようとする事業者が増加したのだが、彼らに共通するものであった。
こういうのを「安直」「傲慢」という。
葬儀業界は変わらないようで新陳代謝を繰り返しており、新規参入事業者が新しい視点を導入し、さまざまな改革がこれまで行われてきた。
だから新規参入が悪いわけではない。
改善には必要なことだ。
他分野で働いていた人が今では葬儀業界に多く入ってきて、中から改善している動きもある。
閉鎖的な業界には未来はない。
外部からきていい働きをしている人の共通点は、葬儀という仕事を真摯に謙虚に学ぼうとする姿勢だ。
葬儀という仕事、特に現場の仕事を蔑ろにする者は、かっこうのいいことは言うが実質が伴っていない。
イオンのお葬式では当初から「葬儀サービス品質基準」(140項目!)を設けていることをうたっているが、それが明示されていないのはなぜか?
品質基準を設けているから安全というならば、それを公開しないと説得力はないだろう。
各社は消費者庁の措置命令に従い、現在は追加料金が発生する場合の表示を行っているが、措置命令が出されたことは掲示していない。
■戦争の記憶と8月
1941(昭和16)年12月8日は「対英米開戦」の日である。それに先行する「宣戦布告なき戦争」といわれた1937(昭和12)年7月7日の盧溝橋事件に発する日中戦争がある。
1945(昭和20)年8月15日のポツダム宣言受諾(降伏)、翌8月16日に大本営が戦闘停止命令、8月28日にマッカーサーが占領軍司令官として厚木に飛来、9月2日戦艦ミズーリで降伏文書調印。
私の子ども時代は、専ら「太平洋戦争」という言葉が使われていたが、当時の日本政府・軍は「大東亜戦争」を用いた。戦後生まれである私が子ども時代に専ら「太平洋戦争」であったのは占領軍が「大東亜戦争」という用語を使用禁止したからであった。
8月15日の戦没者追悼式で安部総理は式辞で「先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました」と述べた。
「先の大戦」が最近の政府の言い方である。
「三百万余」が日中戦争も含め、軍人・軍属約230万人、外地の一般邦人約30万人、空襲等による国内戦災死没者約50万人の約310万人。
但し、これに中国、アジアの犠牲者は含まれていない。中国・アジアの戦争犠牲者数は推計によるが約1900万人ともいわれている。
1942(昭和17)年6月のミッドウエイ海戦での大敗を機に日本軍は弱体化。1943(昭和18)年5月アッツ島玉砕、1944(昭和19)年7月には「史上最悪の作戦」といわれたインパール大作戦ビルマ戦線の歴史的敗北、同月サイパン島玉砕を機に日本軍は絶望的抗戦期に入る。
吉田裕『日本軍兵士』(中公新書)によれば、日本人戦没者約310万人の大部分がサイパン玉砕以降となる。1944(昭和19)年以降の死者は約9割となっている。
1945(昭和20)年
3月 硫黄島玉砕、東京大空襲
6月 沖縄戦
8月 広島、長崎原爆投下
戦争というのは多面的顔をもつ。
日本国民は「犠牲者」であると同時に「加害者」「侵略者」でもあった。
軍国日本で「情報がない中で仕方なく従わされた不自由者」であると同時に軍国日本を「煽った」のも日本国民であった。
マスコミはこの時期戦争の非人間性を暴く特集を盛んにするが、戦争翼賛に最大の力を発揮したのはマスコミであった。
宗教団体も神道のみならず仏教もキリスト教も翼賛、加担した事実は忘れて葬ることはできない。
知識人もおっちょこちょいな加担者もいたし、多くは沈黙せざるを得なかった。
敗戦は「国力の差」という今から考えれば圧倒的事実以前に、それを正しく理解するインテリジェンスがなかった、それがあまりに微力だったことに求められるだろう。
絶望的抗戦期に入ってなお戦争をやめられなかったのは、精神論では片づけられない致命的な欠点を日本社会は抱えていたといわざるを得ない。
大戦は日本国民のみならず周辺諸国民にも贖いきれない犠牲と混乱をもたらした。
これは日本人の歴史として深く、長く記憶され続ける必要がある。
日本人が誇りを獲得するのはこの徹底的事実認識の先にしかない、と「戦後民主主義の申し子」である私は確信している。