しばらくぶりの更新となる。
■義兄を見舞う
7月の下旬から2週間以上、ひどい腰痛さらには頸の痛みを体験し、回復したかと思ったのだが、8月の末からまた腰痛に悩まされている。
普段の姿勢の悪さ、終日椅子に座っての生活が原因かなとも思うのだが、何か身体が壊れはじめているのではないか、という感じがしている。
いくつかの病を経験しているものの、同世代の者と比べるとさほどのことではない。
身体的にはきついのだが、何か病を経験した者の仲間入りした、という奇妙なうれしさみたいなものを感じている。
若い頃、戦後派の人たちに対し「遅れて生まれてきた」という焦燥のようなものを感じていたが、今は先に逝った者たちへ遅れて近づいているような想いがしている。
姉が5年前72歳で逝き、その夫である義兄が昨年末に急に認知症を発症し、パーキンソン病も悪化、食欲はあっても食べ物を呑み込めないという状態に陥っている。
姉と同じ歳であったから77歳。
先日(8日)、福岡での講演の機に、グループホームに入居していたが入院した先の病院に見舞った。
義兄の変わりようを見ていると、80はおろか90にしても元気な方は多いが、老いは人間を脆くする、という想いを深めている。
義兄は大学の教員を定年まで勤め、その後も私大で教鞭をとり、長く研究一筋の人だった。
おっとりとした性格だが、俳句をしていたこともあり、ときどき吐く言葉には考え抜かれた鋭さがあった。
その義兄が急激に衰え、本もまったく手にしない生活になるとは考えづらいものがあった。
だが、病の深刻化は現実である。
こちらの話すことはおおよそ理解できているようだが、発話が困難で、ほとんど聴き取れない。
そのため一所懸命繰り返すのだが、疲れてしまい、長い時間は無理である。
「また来るから」と言って、握手して別れた。
握る力は思いのほかしっかりしていた。
■転機に立つ仏教寺院
葬研のサイトでの連載(「碑文谷創の葬送基礎講座」)も早いもので11回目になった。
9月2日「岐路に立つ仏教寺院」がアップされた。
https://souken.info/himonya11
これはネット系葬儀斡旋事業者の問題を取り上げ、「僧侶派遣」「派遣僧侶」の問題を考えるにあたり、葬式と仏教寺院の問題を歴史的に解説する必要があると考えたからである。
「葬式仏教」と揶揄されることが多いが、戦国時代にあれほどの勢いで僧たちが民衆の中に分け入り、そして民衆に支持された接点が葬祭であったことは深く考える必要がある。
今の死を囲む環境は深刻である。
僧たちは、もっと真剣に葬祭に対峙すべきであろう。
人の死があり葬祭がある。
さらにいうならば、死は生と不可分離である。
葬祭は宗派の方式に則り葬式儀礼を行えば終わりではない。
もっとトータルに固有の生死に向き合うことが必要である。
今の葬式における仏教離れは、葬祭を生業として、慣れで甘く係わってきたつけ、という面がある。
「葬式以外にやることがある」
もちろんそうだ。
しかし、人の生死の結節点として葬祭をもっと突き詰めることが必要であるように思う。
そこから見えてくる地平があるはずと思っている。
仏教だけではない。
葬祭を軽んじて寺院、教会の未来はない。
多死社会を迎え死が溢れている。
災害死も含め、さまざまな死がある。
同時に社会は、死、死によってもたらされるものへの感性が鈍化してきているようにも思われる。
だから宗教者までこの感性を鈍化させていいことにはならない。
■『宗教問題№27 2019年夏季号』
『宗教問題』という季刊誌がある。
その2019年夏季号の特集は「葬儀社大倒産時代」
この雑誌の編集者は元週刊誌のライターというだけあって、取り上げ方がセンセーショナルである。
ここに私のインタビューが掲載されている。
http://www.mosakusha.com/newitems/2019/09/vol27_1.html
アマゾンでも購入できる。
雑誌の狙いと私の発言にいささか齟齬があり、その点中途半端になったことを編集者にも詫びたい。
ゲラをチェックしたのだが、いささか甘かったと反省している。
本文中で「葬祭ディレクター技能審査制度のいわば生みの親」という表現は誤解を招くものであった。
私が創設から2016年までかかわったことは事実だが、多く方々の熱意と努力の上に生まれたもので、けっして私が特に主要な役割を果たしたわけではない。
そのことをお断りしておく。
9月11日、私はもう関係していないので出ていないが、2019年度の技能審査が全国で開催された。
多くの人たちの尽力で継続していることに感謝したい。