「布施は宗教行為の対価」か否か?

■アマゾンに「お坊さん便」が出品

葬研の「碑文谷創の葬送基礎講座」が9月16日に更新された。

「布施は宗教行為の対価」か否か?
―僧侶手配、派遣僧侶の問題をどう考えるべきか①
https://souken.info/himonya12

アマゾンのマーケットプレイスに株式会社みんれび(現「よりそう」)が「お坊さん便」を出品、販売開始したのが2015(平成27)年12月であった。
これに反発した全仏(公益財団法人全日本仏教会)が理事長談話を同月24日にプレスリリースした。
何かと対応が鈍い仏教会としては異例のはやさであった。

本談話で
「全日本仏教会は、宗教行為としてあるお布施を営利企業が定額表示することに一貫して反対してきました。お布施は、サービスの対価ではありません。同様に、「戒名」「法名」も商品ではないのです」
と書かれたので、これを取り上げた。

■「お経料」「戒名(法名)料」問題

都会を中心に仏教寺院が「布施」という名のものを「お経料」あるいは「戒名(法名)料」として、あるいはあくまで「布施」という名の下で、宗教サービスの対価とするのは1970(昭和45)年には出来上がっていた。
おそらく一部の寺院ではもっと以前から行われていただろう。
これは各寺の属する宗派本山、仏教会の意思決定という形をとらなかったが、実に広く実態化した。
もとよりこれを批判した寺、僧侶も多かった。

少なくとも40年以上、寺院の多くにおいて実態としてあった「お経料」「戒名(法名)料」問題であるが、ネット系葬儀斡旋事業者が「僧侶派遣」というところまで事業分野としたことで、全仏は「お布施は、サービスの対価ではありません」と今さらの如く「正論」を吐いた。
本来であるならば全仏は40年前に関係する寺院にこれを言わなければいけなかった。

だから今さらであり、奇妙さは拭えなかった。
多少とも事情を知る者としては「お坊さん便を利用して寺院に遅まきながら警告したのかな」と思ったものである。

僧侶派遣問題

僧侶派遣問題にしてもそうである。
首都圏では宗派を超えた僧侶斡旋プロダクションが1990(平成2)年には勢力を拡大していて、葬祭事業者がこれを斡旋していた。
葬祭事業者が僧侶のネットワークをつくり、自ら施行する葬儀で斡旋していた例もある。
ある互助会はかなり多数の僧侶をネットワーク化していた。
僧侶派遣は「お坊さん便」が最初ではないのだ。

少なくとも四半世紀この問題を野放しにしておいて、あたかも初めて出現したかのような対応はおよそフェアではない。

プロダクションには、寺の次男三男で寺を住職として継がない連中が中心となり宗派を超えて集まり経営しているものも、葬儀社社員だった者が僧侶資格を得て、僧侶らしき者たちを集めてかつての葬儀社時代の仲間を手始めに斡旋することを事業化したものもある。

その頃よくいわれたことが「斡旋された僧侶が実在する寺の住職・副住職なら信頼できる」であった。
これは神話であって何の根拠もないことは今や常識である。
残念なことに寺の住職であることが僧侶としての信頼にはつながらない。
大寺院の住職がどうしようもない俗物という例はいくらでも見ることができるからだ。
そうした肩書をもつ住職等が「葬式をしてやる」という上からの態度で葬儀に臨み、遺族等がその尊大さに辟易した例はいくらでもある。

派遣僧侶として過去のプロダクションに、今回のネット系葬儀斡旋事業者に登録している僧侶には、いい僧侶もいればそうでない僧侶もいる。
事業者はマナーについては訓練するが、遺族にとって信頼できる僧侶であるかの見極めはしていない。
当たり前であるが選別する事業者にその能力も見識もないからだ。
しかし、中には「いい僧侶」「信頼できる僧侶」がいることは確かなことだ。

■経済的問題はさておき

こう書いていて、「あまり本質的問題ではない」と思う自分がいる。

戦後高度経済成長を背景にして起こった人口大移動が生み出した都市部の宗教的浮動層の出現、それによって生じた地方寺院の過疎化と経済的不安によって都会に出稼ぎをよぎなくされる僧侶たち。
こうした中で事業化して利益を得ようとする者たち。

ここに問題はあるものの、これを追及したところで何かが変わるわけではないだろう、という諦念のようなものがある。

むしろ昔もいたし現在もいる、数は少ないかもしれないが、寺のあり方を追い求めている僧侶たちの着実な活動にこそ期待したい。

本山や仏教会には期待しても空しいだけである。
そこに期待しても何も生まれない。

肩書はないが、寺のあり方を模索している僧侶たちにこそ未来を託したいと思うのだ。

《追記》布施とは(『葬儀概論』p189)

仏教では、布施は菩薩(悟りを求めて修行する人)が行うべき6つの実践徳目の1つとされており、施す人も、施される人も、施す物品も本来的に空であり、執着心を離れてなされるべきものとされています。

布施はさまざまに分類されますが、一般的には次の3つに分けられます。

❶財施(ざいせ)

出家修行者、仏教教団、貧窮者などに財物、衣食などの物品を与えること。仏教の教えへの感謝を表し、施すことです。

❷法施(ほっせ)

正しい仏法の教えを説き、精神的な施しを行うこと。僧侶の務めとされています。

❸無畏施(むいせ)

施無畏とも言い、不安やおそれを抱いている人に対し安心の施しをすること、困った人に対し親切を施すこと、などです。

 

 

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/

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