人の死を看取り、弔い、葬ること

12月2日に葬研「碑文谷創の葬送基礎講座」が更新された。
テーマは「人の死を看取り、弔い、葬ること」https://souken.info/himonya17

このテーマで書くことは何度目かになる。
私にとってはメインテーマともいうべきもので、これについて触れないと、なにか忘れ物をしたような気がして落ち着かない。
そこで10回に1回とまではいかないが、このテーマにときどき立ちかえることになる。

データはいつも最新であることに気をつけている。
データがすべてでは無論ないが、データを時系列で見ることで時代が浮き彫りにされることがある。

■80歳以上での死者が約6割の時代

内容は本論を参照してもらう以外にないが、ここで一つのデータを紹介しておこう。

全死亡者における高齢者の死の割合である。
人口動態統計2017年確定数が最新であるが、これに基づいて計算すると次のようになる。

・65歳以上 90.2%
・75歳以上 75.2%
・80歳以上 63.5%
・90歳以上 26.5%

80歳以上での死が全体の6割を超えている。
内訳は、男性52.8%、女性74.9%であるから、女性が長寿ということは明らかである。
昭和の前期が80歳以上での死亡者が全体のわずか5%程度であったので、時代は大きく変わっている。

江戸期以降戦前までは80歳以上での死は「長寿者の死」ということで、稀なことで葬儀は「寿ぐ」かのようにして行われ、周囲の人たちは長寿にあやかろうと押し寄せたともいわれる。

それがいまや「普通の死」となった。
90歳以上が約4分の1でこれも多いが、80歳代で亡くなる人が最も多く、全死亡者の37%を占める。

■「老い」と「疲労」

今「人生100年」時代と喧伝されているが、それにはもう少し時間がかかりそうである。
今はデータ的に見るならば「人生90年」時代である。

長寿化に対するイメージは、昔は羨望の対象としてあったが、今はそうではない。

しかし死は何歳まで生きたかという長さで量るものでは無論ない。
常に個別であり、固有のものなのだ。

類ということでいうならば、死は必須なだけではなく次の時代の生を生むものでいわば生きていく条件である。
一人の死は周囲の者に大きな喪失を与えるが、死んでいく者にとっては必ずしもマイナスだけで語られるべきものではない。

自分が70を超えて思うのは、日々に少々の楽しみはあるものの、感じるのは「疲労感」である。
70年以上生きたのだから当然のことである。
肉体的にはもちろん精神的には疲労が出てくる。
「まだまだ若いですよ、元気でがんばって!」
と世辞を言われることが多いが、自分に今さらがんばれる余力などさほどないことを知っている。

せいぜい今与えられた課題には全力で取り組む。
一つの仕事を終えると、中断しないで済んだという安堵とそれなりの充実感はある。
可能なことはやるようにしているが、生きることはともかく、取り組めることにはそれほどの年数が残されていない、と感じている。

もとより自分では「まだできる」と思っていても、周囲は「もうダメだな」と思うこともあるだろう。
そう思われたら退くべき時がきたということなのだろう。

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/

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