本日(12月16日)葬研「碑文谷創の葬送基礎講座」の18回目
日本人の死生観と神葬祭
https://souken.info/himonya18
がアップされた。
葬儀を宗派別に見ると、最近こそ減少傾向にあるものの仏式が8割を超えている。
神葬祭は2%にすぎない。
2017(平成29)年1月発表の日本消費者協会「第11回 葬儀についてのアンケート調査」によれば次のようになっている。
仏式 87.2%
神式 2.3%
キリスト教 1.8%
無宗教 3.5%
その他 1.8%
無回答 3.3%
■仏教以前
神道はよく「仏教以前」と言われる。
仏教が日本に伝わったのは6世紀(538年もしくは552年)のことで、中国、朝鮮半島経由してだ。
中国においても西域経由で仏教が入ったのは1世紀のことで、宗教として広まったのは鳩摩羅什等の活躍による4世紀後半以降で、大流行したのが5~6世紀のことである。
当時、大陸や半島で大流行していた仏教が日本に上陸したことになる。
仏教が日本に伝来することによって、それまで自覚的でなかった日本古来の神社を中心とした自然信仰が意識されるようになり、これが発展したのが神道である。
「神道」という語が最初に出現するのは8世紀の『日本書紀』で、外来宗教である仏法(=仏教)へ対して使用された。
教理的な自覚は中世以降のこと、宗教学的に「神道」という概念が確立するのは1897(明治30)年以降のことである。
仏教と神道が対立的に認識されたのは明治維新以降のこと。
中世から近世までは共存、混淆、習合の世界であった。
仏教が土着するにあたって、土地の習俗、背景となる信仰心と対立ではなく習合せざるを得ない。
特に戦国時代に民衆の中に大きく展開するようになって以降、それは避けられなくなる。
今回は神葬祭については背景、歴史的経緯が中心で神葬祭そのものについては具体的に言及していない。
むしろ日本人の死生観がもつ、神道とも仏教ともいえない世界観の一端を描写することを心がけた。
■仏教ははたして選択されてきたのか?「無宗教」台頭の実態とは?
考えてみれば、近世前半の真宗、日蓮宗以外においては日本人はさほど宗教の自覚的選択を行ってきていない。
現在、仏教葬儀が8割といっても自覚的な仏教信者は多くみて3割程度にすぎない。
いま「無宗教」が増加している、といっても自覚的な無宗教主義が増加しているわけではない。
結婚式において一時「教会式」が、わずか1~2%のキリスト教信者がいないにもかかわらず、日本で約7割を占めたのはファッション、風俗としてであった。
いま、結婚式(結婚人口が減少しているうえに結婚式、披露宴をあげるのは婚姻組の約半数といわれる)では緩やかに無宗教式が増加しているらしい。
葬式においても、「無宗教葬(=自由葬)」が強くいわれたのは1995年頃であるが、マスコミ報道された割に伸びなかった。
だが近年、都会を中心に「無宗教葬」が少し増える傾向にあるようだ。
これは戦後育ち層が次第に死亡適齢期を迎えるようになったことを反映している。
戦後育ち層、特に都会においては寺は離れた文化であって特にシンパシーがない。
かつては無宗教葬に違和感を表明していた親戚も世代交代しあまり違和感を表明しなくなってきている。
「無宗教主義者」が特に増加しているわけではない。
特に特定の宗教に対して親和感がないので、従来であれば「習慣だから」と無自覚的に仏教葬儀を受け入れていたのが、無自覚的に宗教儀礼に「馴染みがない」ということで「無宗教葬」を選択し始めたということだろう。
葬祭事業者の中には「古い仏教葬儀」と対比して「新しい無宗教葬」を謳う者も現れ始めている。
仏教葬が民衆の中に定着を開始するのが戦国時代であるが、定着するのは江戸中期の寺請制度以降、つまりどこかの寺の檀家になることを法制度として規制されて以降のことである。
熱心な信者というコア層はあったが、その周辺にそれを慣習として受け入れた層が大きくあった。
■文化・慣習の端境期
いま、その周辺が少しずつ崩れてきている。
戦後の高度経済成長期に「戒名料批判」ということで大きな仏教葬攻撃が起こったことが端緒であったと思われるが、これはまだ「葬式での読経」があたりまえとする文化の中でのことであった。
いま、それが少しずつではあるが「あたりまえ」としない層が目立つようになってきた。
文化の変容には、技術革新等はすぐ反映されるが、文化や慣習については2世代およそ30~60年かかる。
いまは、そういう文化の端境期にあるのだろう。
人の死生観(自覚するにせよしないにせよ)を支えるものとして宗教は依然有効性を失ったわけではない。
しかし、それは「慣習」に依存するのではなく、より自覚的なアプローチが必要とされる時代になったのだろう。