暦、歳についての話と年末のあれこれ

新年最初の葬研「碑文谷創の葬送基礎講座⑲」では
「暦」を扱った。
私としては珍しいことだが正月にちなんでの話となった。
https://souken.info/himonya19


■暦、歳

扱った内容は

元号・年号/西暦/太陽暦=グレゴリア暦/旧暦/数え年、満年齢—年齢計算に関する法律/なぜ数え年なのか/年齢のとなえ方に関する法律」/享年、行年/法事は数えが優勢

「年」を表すのに西暦と日本では元号表記があり、暦には太陽暦と旧暦があり、「歳」には満年齢表記と数え年表記とがある。

死亡年齢は今では満年齢表記が多いが、享年や行年では慣例的に数え表記が基本とされてきた。
数えでは誕生日に歳をとるのではなく、正月に家族全員が歳をとる。
誕生時には0歳ではなく1歳である。
生命の誕生を出生時ではなく受胎時に求める仏教的観念と正月に歳神を迎える日本人の神道的慣習の融合としてある。

だが同じ数えではあっても法事は死亡時を繰り入れて計算するが、起算はあくまで死亡日である。
同じ数え表記でも少し違う。

■宇沢弘文

このところ新年はNHKTVの「生サダ」を観るのが慣例となっている。
番組の終わりに、さだまさしが中村哲医師がアフガンで襲撃されて死亡したことを悼んで「風に立つライオン」を歌った時には深い感慨を覚えた。
「感慨」という表現を私はよく用いる。それは表現力の乏しさが大きく影響していることはいうまでもないが、深く感じて適切な表現が発見できない時に、その感情を「感慨」と言っておく、ということなのだ。だからいろいろな「感慨」がある。

読書としては佐々木実が書いた経済学者宇沢弘文の伝記
『資本主義と闘った男』
を電子書籍で読んだ。

自宅を拠点としているためスペースがないので、電子書籍があるものは電子書籍で読むようにしている。


宇沢弘文(1928-2014)について、生前は名前だけは知っていたにすぎない。
18年年長になる。
戦後(1956)に渡米し数理経済学の第一線で活躍、1968年に帰国後は公害問題、自然環境破壊といった戦後高度経済成長の陰、負の問題に取り組み、社会的共通資本を唱えた。

本書は経済学を巡るいわば闘争史のようなもので、一人の優れた経済学者がその渦中でどう生き、論じ、どう生きたかを興味深く描いている。
これを読むことで、自分自身が生きた戦後社会について別の視点を与えられるように感じた。

宇沢は1991~1994年にわたり28年続いた成田空港問題の最終段階となる隅谷調査団に参加した。

■隅谷三喜男

私個人は隅谷調査団を率いた隅谷三喜男さん(1916-2003 労働経済学)に大学の1-2年の時にお世話になったので、本書の終盤の隅谷調査団が中心となったシンポジウム、円卓会議の記録に夢中になった。
http://www.narita-kyousei.gr.jp/activity/record_symposium.html

三里塚闘争の一つの到達点が示されていて感慨深いものがあった。

まさに個人的体験であるが、私が大学入学後、山本将信さんというその後西片町教会の牧師等をされる方だが、寮で誘われて筑豊の子供を守る会(「筑豊キャラバン」といわれていた)に参加した。
この会の顧問を隅谷さんがしていた関係で初代会長の船戸義隆さん、2代目会長であった山本さんに連れられて隅谷さんのお宅にうかがって指導を受けた。
大学1~2年(1964-1966)の時は年に4カ月くらい筑豊の閉山炭住で暮らした。

1960年代の石炭から石油への「エネルギー革命」の中で、急速に大量の炭鉱が潰され閉山となった。
筑豊での石炭採掘は江戸末期からといわれる。
戦前から朝鮮半島といわず全国から炭鉱労働者が集められ、集まり最盛期には約500(全国の炭鉱数が約700)の炭鉱があったが、零細中小炭鉱から姿を消していった。
社会の近代化、現代化の陰となるさまざまな労働者が集められ、劣悪な労働環境で働かされ、「社会」の都合により職場が奪われ、失業を余儀なくされた。
閉山炭住には工業社会の矛盾が集約して露呈していた。
特に零細中小炭鉱が集約していた筑豊の問題は大きかった。


筑豊キャラバンは船戸義隆さんの提唱、船戸さんの福吉への1年間の住み込みから1961年から始まった。
船戸さんの後を、犬養光博さん、その後を山本さん、そして犬養さんが定住した。
h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-643.htm

キャラバンは毎夏約200人の学生が各地の閉山炭住に入り込み、空いた炭住を利用して生活し、閉山炭住の子どもたちを相手にそして閉山炭住の人たちの中に入って活動した。

4代目の会長となった私は会の運動に限界を感じ、会を解散するという無茶、無謀をした。
どうも私には「壊し屋」的巡り合わせがあるらしい。
キャラバン出身者から犬養さん(1965年に入り2014年まで)を筆頭に何人かが筑豊に入り、定住している。

隅谷さんは労働経済学が専門であるが日本の近代キリスト教史についてもその基礎となる研究をされた方であった。
「エネルギー革命」という名の下に行われた無惨な労働の収奪、失業、生活保護行政の問題、まさにそこに置かれた人々の現実について係わることについてさまざまな指針を提供してくれた。
結果、私はこたえられず、運動体を解散に追い込むという「不義理」をした。まさに隅谷さんには「負い目」がある。

キリスト教関係で私の師を2人あげるならば井上良雄(1907-2003)と隅谷三喜男になるだろう。

そういうことで、原稿を抱えながら、私の年末は『資本主義と闘った男』と関連して隅谷調査団関係記録を読むことであった。

■49年ぶりの再

こうなったのには伏線がある。

11月26-27日に学生時代の仲間10人と49年ぶりに顔を合わせた。
富士宮市の田舎に住む塩野さんのはからいで泊まり込みをした。

私にとっては2019年における二大イベントのひとつで(もう一つは10月14日に義兄が死亡した一連のこと)あった。


そこにきた一人である戸井さんから山本将信さんの終末期についてご家族が書かれた記録を渡され、夢中になって読んだからだ。
https://www.facebook.com/masanobu.yamamoto.90


山本さんについての感慨が隅谷さんへの感慨につながった。

11月末の10人の旧友との再会を今は言葉にできない。
いろんな感情や当時の論理が頭に噴きあがって、整理がつかない。

元旦のきょう記事をアップしたことをお知らせするつもりが、はからずも長い寄り道になった。

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/