鎌倉新書の「いい葬儀」の「ライフエンディング業界のトップインタビュー」というところに私のインタビューが掲載されたので報告しておく。(雑誌『仏事』にも掲載されるらしい)
題して、少々禍々しいが
30年囚われ続けたバブルの幻影。葬儀業界は呪縛から解かれ、新たな発想
https://www.e-sogi.com/guide/top_interview/28384/
インタビュー記事なので、あちこち寄り道しながら話したものだが、きれいにまとめてくれてある。
補足するとこういうことだ。
日本の葬祭業は前回書いたように明治の初期から始まってはいる。
だが今の葬祭事業者の8割以上が1960年代の戦後高度経済成長期以降で、葬儀の転換期といわれる1995年以降創業も半数近くある。
葬祭業が産業として成立するのは高度経済成長以降で、祭壇文化が隆盛し、多数の会葬者を集め、葬儀が社会儀礼色を肥大化させる中であった。
葬儀が極端に変容する時期に葬祭業が成立したものであるから、以降、それをあたりまえとしてきた、というのが私の見立てである。
社会儀礼に偏した葬儀が「標準」であるかの如く錯覚し続けたのである。
また葬祭業は、葬儀提供業として始まり、その後に祭壇等の式場設営、通夜や葬儀の式の運営・サポートと進んできた。
葬儀そのもののサポートではなく、葬儀の外側のサポートが中心であった。
葬儀というのは、遺族にとっては、死の看取りから始まり、火葬、拾骨し、その後の喪の作業までの一連のプロセスのことであり、そのその時間の経過に齟齬がありながら心理的経過が伴って進んでいく。
それはけっして通夜(これも高度経済成長以降大きく変質したが)や葬儀・告別式(これが定着したのも高度経済成長期以降)の式という点だけが重要なものではない。
葬祭業者は「外側」をサポートするから、彼らの主要な仕事である点である式の設営、運営が中心となる。
葬祭業者がいわば主役になることで、葬儀の外側があたかも葬儀の中心であるかのように錯覚されるようになっていった。
プロセスを本来とする葬儀からいえば点への変質である。
宗教者もよく知る檀信徒の葬儀ではプロセスとして理解しているが、生前をよく知らない人の葬儀を頼まれると(高度経済成長期に人口の大移動が行われ、都市では生前を知らない人の葬儀を頼まれることが多くなった)、通夜や葬儀・告別式での読経が自らの仕事と錯覚するようになる。
宗教者の錯覚と葬祭業者の自分の従来の仕事の延長線での葬儀の狭い理解に加えて、遺族という消費者が日頃に人の死に出遭うことが減少し素人化が進む中で、葬儀が巨大化しながら実質は矮小化が進んだ。
普通の個人葬で会葬者が200~300人、そのうち死者を知る人は3割に過ぎない葬儀が標準的、だなんて異様だろう。
そうした異様を「標準」とするから
葬儀の個人化を「葬儀の大切さを理解しない」といい、通夜と葬儀式が変容しておかしくなった事態を認めず、「通夜と葬儀、2回やるのが正当」とのたまう。
そもそも人の死という事実が生じ、そこでさまざまな葛藤があり、死者を送り出す、という遺族にとって回避できない大きな出来事、プロセスを社会儀礼に特化させたのが高度経済成長期からバブル期に至る約30年間の葬儀である。
それが崩れること自体はマイナスではない。
むしろ高度経済成長期に変質した葬儀を解体し、遺族にとってあるべき葬儀を再構築すべきではないだろうか。
葬儀の個別化、多様化が進む中で、葬祭業の「現場」ではさまざまなことを経験しているだろう。
40代以下に期待するのは、彼らはバブルを知らないからだ。
素直な眼で葬儀のあり方、葬祭サービスのあり方を見直すことができるように思うからだ。
「遺族」といっても実際は個別で多様である。
そこにどういうサポートが適切かも個別で変わる。
棺等の道具の提供、遺体のケア、工程の管理くらいに留め、後は遺族および死者を囲む関係者主体で進めるのが適切な場合もある。
1995年以降、特に2008年のリーマンショック以降、顕著になった葬儀の変化を、高度経済成長期以降バブル期までの葬儀と比較して「劣化」した如く語る宗教者、葬祭事業者の評価は的を外しているのではないか、というのが私の見立てである。
ことごとく、共感致します。