葬祭業はどう変化してきたか? 戦後葬儀の歴史

このブログの更新は約1か月ぶりになる。
原稿を抱えて、そちらが大きく遅延したことも影響している。
「書く」という作業は、時間の問題ではなく、アイディアが生じるかという問題で、この間、おそらく老化の問題であろうが、とみに困難になっている。

 葬研「碑文谷創の葬送基礎講座」で、2月17日と3月4日の2回更新されている。
その紹介をまとめてするのは、2つで一連のテーマを扱っているからである。

■葬祭業はどう変化してきたか? 戦後葬儀の歴史

(上)第22回
https://souken.info/himonya22/

・「新生活運動」と葬儀
・地域共同体が中心となった葬儀
・・死亡の高齢化
・祭壇文化
・冠婚葬祭互助会
・祭壇文化の背景となる高度経済成長期
・個人儀礼に
・・多死化
・・少子化
・・高齢化

・・不況の長期化、文化・消費の個人化・多様化

(下)第23回
https://souken.info/himonya23/

・「家族葬」登場で葬儀の小型化
・生花祭壇と洋型霊柩車
・個人化、小型化傾向を確実にしたリーマン・ショック
・・家族の縮小、単独世帯の増加
・情報の個人化、多様化を可能にしたインターネット
・グローバリゼーション
・葬祭サービス
・葬祭ディレクター技能審査

戦後葬儀史についてはたびたび書いているが、今回は特に2008(平成20)年のリーマン・ショック以降の変化を考えるうえで戦後から見ていく、という試みをした。
能力不足から必ずしも成功しているとは言い難いが、それなりにあれこれ考えたものである。
葬儀が「私事化」した背景を意識して追ったものである。

年表的には『葬儀概論』の三訂以降に簡単なものを掲載している(これは人類史全体のものであるが)。
参考までにこの戦争前夜から2012(平成24)年までの部分を以下に再掲しておく。

■(資料)死と葬送の日本の歴史年表

本年表は、死と葬送をテーマに、関連する文化や宗教を重視しつつ、簡単ではあるが、説明的に記述している。日本の出来事を中心にしているが、古代は中国や朝鮮半島から、近世になると加えてオランダ、ポルトガル等から、幕末以降は世界各国の文化を引き継いでいる。そのため日本史は世界の動き、文化を背景としていると言える。(詳細は、碑文谷創作成、雑誌『SOGI』通巻121〜125号掲載の年表参照)

戦争への道
1930年、満州事変の発端となる柳条湖事件が起こる。これを起点として日中15年戦争に入る。1932年満州国建国。日本、都市部人口対郡部人口24対76。
1933年、昭和三陸地震 死者・行方不明3,064人。日本、国際連盟脱退。
1935年、この年より15年間、日本の死亡原因首位は結核で、「亡国病」と言われた。
1939年、宗教団体法を制定。以降、一部の教団を除外し、宗教教団のほとんどは戦時合併し、宗派合同し、戦争協力へ。 ドイツのポーランド侵攻で第二次世界大戦開始。

太平洋戦争
1940年、大政翼賛会。
1941年、日ソ中立条約。日本、アメリカ真珠湾攻撃、南方作戦発動で太平洋戦争始まる。
1942年、ミッドウエー海戦、ガダルカナル島戦。
1943年、アッツ島玉砕、学徒出陣。
1945年、東京大空襲、沖縄戦、広島原爆投下、長崎原爆投下、日本ポツダム宣言受諾、終戦。
連合国軍最高司令官として米軍元帥マッカーサー(1880〜1964年)が就任し来日占領政策を指揮

太平洋戦争の被害
東京大空襲 死者・行方不明約10万人、沖縄戦 死者・行方不明20万人以上、広島原爆 死者・行方不明12万人以上、長崎原爆 死者・行方不明7万人以上。日本関係者の死者・行方不明は200万人以上。
アジアを含め太平洋戦争全体の死者・行方不明は1千万人以上。第二次世界大戦全体の死亡・行方不明は数千万人に及び、確定していない。

戦争という時代の葬儀
駅での遺骨迎え(葬祭業者は徴兵されることが多く、家族が業を担う。戦時統制で葬祭業組合誕生、霊柩会社も統合。これが戦後の協同組合、合弁会社の基礎となる)。
戦死者に院号授与するよう陸軍が仏教界へ働きかける。
「英霊」の一般化(早くは日露戦争からだが太平洋戦争で一般化)。

「戦後」という時代 
焼け野原、物資不足、旧体制の崩壊からくる復員、混乱が始まる。進駐軍による民主化が進められる。
1946年、日本国憲法公布(明治憲法失効)。
農地解放 寺院の財政的基盤である小作地が取り上げられる。また、檀家総代として寺院を支えていた地主層が力を失う。寺院は財政危機に陥る。(戦時中、多くの寺院で、軍部の要請により戦死者の戒名・法名に「院号」を授与。戦後の院号問題に道を拓く)。
南海地震 死者・行方不明1,443人。
1947年、日本、民法改正(家族法に大きな改正、家制度の廃止)。
1948年、ベルリンの壁(東西冷戦の象徴)、ドイツ分割。朝鮮半島が南北分断。マハトマ・ガンディーが暗殺される。 日本、「医師法」「墓地、埋葬等に関する法律」施行。
西村熊彦、日本最初の互助会「横須賀市冠婚葬祭互助会」を興す。
1949年、「死体解剖保存法」施行。丸木位里・俊子「原爆の図」発表。学徒動員兵の手記集『きけわだつみのこえ』刊行。

1950年、朝鮮戦争勃発。日本、警察予備隊発足(現・自衛隊)。朝鮮戦争の米軍死者は日本の米軍基地に常駐するエンバーマーによってエンバーミングされた。
1951年、サンフランシスコ講和会議 。「宗教法人法」公布。
1951年、米津工房創業。全国に宮型霊柩車を販売開始。
1953年、朝鮮戦争休戦協定。朝鮮特需、朝鮮戦争で米軍から日本への発注合計は46億ドルと言われる。朝鮮戦争の死者は戦闘員・市民両軍合計400万人以上。
NHKがTV放送。
この頃より葬具問屋が全国に祭壇を販売。

昔ながらの葬儀 —モデルとして
自宅での看取り→死の通知→枕経→湯灌・納棺→通夜(近親者で)→内葬儀(自宅)→葬列→堂内葬儀(寺院)→埋葬(火葬)→お斎(仕上げ)
法事 初七日→二七日→五七日(三五日)または七七日(四九日)【忌明け】→百か日→一周忌【喪明け】→三回忌→七回忌→十三回忌→三十三回忌【弔い上げ】

互助会と専業者
1954年、アメリカ、ビキニ岩礁で水爆実験。防衛庁・自衛隊発足。
互助会第2号・名古屋市冠婚葬祭互助会。以降、1975年頃まで各地に互助会が作られる。
1955年、日本、都市部人口が郡部人口を上回る。56対44 (都市化)。
1956年、葬祭専業者による団体、全葬連(全日本葬祭業組合連合会)結成大会。

高度経済成長前夜
1958年、WHOが「世界天然痘根絶計画」 。
1959年、伊勢湾台風 死者・行方不明5,098人。ダライ・ラマがインド亡命。1960年、三池労組解雇反対無期限スト。安保反対闘争。チリ地震・津波でチリ全土が壊滅状態に。直接的死者は1,743人、津波での死者はハワイ61人、日本三陸海岸142人。

高度経済成長と葬儀の社会儀礼化
1960年、池田勇人が首相就任し、所得倍増計画を打ち出し高度経済成長時代に導く。米国・ケネディが大統領選挙で勝利、南ベトナム解放民族戦線が南ベトナム政府軍を武力攻撃。
日本の火葬率が60%を超え、以後急速に上昇(2010年現在99.9%、世界一)。この頃から家墓(核家族墓)が極端に増え、事業型墓地(公営霊園、民間霊園)の需要が拡大。
1962年、流感大流行、死者約6千人。 キューバ危機。1965年、米国が北ベトナムを北爆しベトナム戦争が開始。
1963年、ローマカトリック教会第2回バチカン公会議で罪の赦しより復活に預かることを強調し、葬儀の見直し、火葬禁止の廃止が決まる。司祭の葬儀の色は黒から白へ。
1964年、太平洋横断海底ケーブル完成。東海道新幹線(東京—新大阪)開通。東京オリンピック開催。 新潟地震 死者26名、家屋全壊1,960棟、家屋浸水15,298棟。
この頃、高度経済成長が招いた都市集中化で都市に流入した層を新宗教(創価学会、立正佼成会、霊友会等)が獲得し大教団化する。この頃からJA(農協)で葬祭事業に取り組むところが出てくる。
1965年、日韓基本条約調印。米軍北ベトナム空爆開始。米国ワシントン、ベトナム反戦平和行進 。

この頃から通夜へ一般会葬者が出る傾向が。また、一般会葬者数が増える傾向が始まる。
1966年、中国で文化大革命 。全日空機、東京湾に墜落、死亡133人。カナダ航空機、羽田空港防波堤に激突、死亡64人。BOAC機、富士山麓へ墜落、死亡133人。
1967年、吉田茂元首相の国葬が無宗教式で。これが生花祭壇の最初と言われる。
最初のホスピス、シシリー・ソンダースが「セント・クリストファー・ホスピス」(英)。

1968年、稲田務・太田典礼『葬式無用論』。
香港風邪が流行。世界で100万人死亡し、日本の死者は2,200人以上。 大学闘争、ベトナム反戦闘争が激化(〜69年)。

葬儀・告別式の誕生
1969年、中国山東省で大洪水。死者数十万人? キューブラー・ロス『死の瞬間』。
1970年、神社本庁『神葬祭の栞』。
この頃、キクのラインで象る生花祭壇が北海道で流行し、1980年代に九州に伝わる。
葬儀と告別式を合わせて1時間という、葬儀の途中から焼香を始める「葬儀・告別式」(葬儀と告別式が同時併行して進行する方式)が一般化。都市部では地域共同体だけではなく会社関係者が葬式の手伝いに参加するようになる。また仏教寺院では、高度経済成長に伴う中産階級の増加に伴い、位階制を背景とした戒名(法名)の経済的民主化とも言うべき「戒名(法名)料」問題が出て、院号・居士・大姉が飛躍的に拡大。寺院の財政基盤の弱まりと、信仰としてよりも宗教サービスとしての一般理解が複合した現象。

高度経済成長時代の影
1971年、「いのちの電話」開設。公益社(大阪)千里会館建設。斎場・葬儀会館のはしり。
1972年、C・M・パークス『死別』刊行。
1973年、互助会、割賦販売法の適用を受け社団法人全日本冠婚葬祭互助協会発足。柏木哲夫医師が大阪の淀川キリスト教病院にホスピス開設。
1974年、米ニクソン大統領辞任。田中角栄首相、金脈問題で辞任。圭室諦成『葬式仏教』刊行。
1975年、サイゴン攻略、ベトナム戦争終結。

日本、国勢調査で農家数500万戸割る。洋型霊柩車を米国より東礼自動車が輸入。通産大臣認可全日本葬祭業協同組合連合会創立(現・全葬連)。全国霊柩自動車協会が社団法人に。この頃から葬祭業への新規参入が増加し、「祭壇」中心の葬式が盛んに。葬祭業において「葬祭サービス」が提唱され始める。

1976年、中国・唐山地震、死者24万人以上(非公式には60〜80万人)、20世紀最大の地震被害。スーダンのヌザラでエボラ出血熱が流行。
ロッキード事件。中国(中華人民共和国)の建国とその後を指導した周恩来没、空中散骨。毛沢東が没、遺体はエンバーミングされ今も保存・公開。「安楽死協会」(現・日本尊厳死協会)設立。

病院での死が過半数を超える(死の生活離れ)
1980年、病院での死者が自宅での死者を上回る(2009年現在、自宅死12%)。WHO「天然痘根絶宣言」。
1981年、米でAIDS(後天性免疫不全症候群)患者を発見。報告後、約10年で感染者が世界中で100万人にまで広がる。薬害エイズ事件も。
1982年、アルフォンス・デーケン上智大教授らにより「生と死を考える会」発足し、ターミナルケアや死別の悲嘆(グリーフ)への関心を拡げる。
1983年、医学及び歯学の教育のための献体に関する法律(通称:献体法)」施行。インターネット誕生。
1985年、日航機御巣鷹山墜落事故、死者520名・生存4名。 ゴルバチョフがソ連共産党書記長に就任。日本「男女雇用均等法」成立。

バブルの時代と「近代」の終結
1986年、ソ連(現・ウクライナ)チェルノブイリ原発事故。30km圏の住民10万人以上が移住。死者は3千人とも言われるが不明。長期的ながんによる死亡は数十万人とも推測されるが不明。2000年段階で被爆者4万人以上死亡。
1986年12月、日本では過度な投機熱・資産価値の高騰によるバブル景気が始まる。1988年、一般日本人対象最初のエンバーミングが埼玉県で。若林一美「ちいさな風の会」(子どもを亡くした親の会)を結成。イラン・イラク戦争、死者は100万人(推定)。
1989年、昭和天皇崩御、「平成」に改元。大喪の礼。霊柩車に洋型霊柩車を使用。1989年、中国・天安門事件。ポーランド、ハンガリー、チェコ、ルーマニアの東欧諸国が民主化。ベルリンの壁が崩壊。オウム真理教幹部による坂本弁護士一家殺人事件。
日本、合計特殊出生率1.57ショック(少子化)。日本、実態経済と異なり、投機、資産価格高騰。

「墓の革命」が開始(日本)
1989年、跡継ぎを必要としない永代供養墓(合葬墓)が注目を集める。
1990年、葬送の市民団体、以降結成相次ぐ。
1991年、「散骨(自然葬)」(遺骨を細かく砕き、墓地外に撒く)が相模湾で行われる。
1999年、岩手県一関市で初の「樹木葬墓地」(山林を墓地とし、墓石等を用いずに遺骨埋蔵)。
2005年、都市型樹木葬「桜葬」。

バブル景気崩壊
1990年、霊柩運送事業が免許制から自由化し許可制になる。この頃から公営火葬場の建設にあたり宮型霊柩車乗り入れ禁止住民協定が。
1991年、1月湾岸戦争勃発。2月バブル景気崩壊。雲仙・普賢岳(長崎)爆発し、大規模火砕流、死者・行方不明43人、1万人以上避難。

「斎場建設競争」始まる —葬式の自宅・寺院離れ
1991年、日本、大野晃(長野大教授)が「限界自治体」「限界集落」という用語を提唱(65歳人口が総人口に占める割合が5割を超す地域)。この頃から斎場(葬儀会館)の建設競争開始。農協、大型合併を機に葬祭事業に積極化。
創価学会が僧侶を呼ばない葬式・戒名をつけない葬式「同志葬」(後に「友人葬」)。葬儀の会葬者数が平均約280人と最大となる。

失われた10(20)年始まる
1992年、WHO発表「エイズ・レポート」世界の患者約45万人。日本医師会報告書で尊厳死を肯定。
1993年、日本、不景気感が浸透し「失われた10(20)年」が始まる。 青木新門『納棺夫日記』(後の映画「おくりびと」の元になる)。葬儀生前契約りすシステム開始。現在NPO法人となり葬儀だけではなく高齢者の生活支援全般を支援するシステムに。
1993年、日本ホスピス・在宅ケア研究会発足。
1994年、ルワンダで百万人以上が虐殺される。永六輔『大往生』が人気に、「茶の間で死や葬式が話される時代がきた」と言われる。IFSA(日本遺体衛生保全協会)設立、エンバーミングの自主基準制定。

阪神・淡路大震災と葬儀の個人化
1995年、阪神・淡路大震災、死者・行方不明者6437人。
この頃、「密葬」がブームに。「家族葬」という言葉に変わり人気広がる。「自由葬(無宗教葬)」という言葉が用いられ葬式の個人化・小型化傾向が始まる。「自分らしい葬儀」で個性化が提唱。 「お別れ(の)会」「偲ぶ会」が行われるようになる(死亡直後は密葬にして1カ月後とか適当な日に)。

1996年、オウム真理教、宗教法人としての認可取り消し。この頃から「宗教は危険」という見方が増える。この頃から僧侶派遣プロダクションが顕在化。
「臓器移植法」が議員立法として国会提出。衆議院、参議院の間で修正のやり取りをしながら、1997年10月法律として成立。本人の意思で脳死判定、臓器移植が可能に。
1996年、葬祭ディレクター技能審査をが労働省が認定、第1回試験が行われる。

感染症、自死、超高齢化 家族葬・直葬の時代に
1997年、神戸連続児童殺傷事件(別名「酒鬼薔薇事件」「酒鬼薔薇聖斗事件」)。
1998年、「伝染病予防法」にかわり「感染症法(感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」。警察庁の統計で自殺者が年間3万人を超える(1998〜2011)自殺死亡率(人口10万人あたりの自殺者数)は2003年40.0/最高、2015年27.0。日本、100歳以上1万人突破。
1999年、墓埋法の施行規則改正。火葬場で分骨証明、無縁墳墓の改葬手続きが簡素化。

2000年、消費者契約法。この頃から「家族葬」が全国的に人気。首都圏では火葬のみの「直葬(ちょくそう)」が2割以上に。自宅葬が減少し斎場葬が主流に。病院から自宅へ搬送、自宅安置が少なくなる。この頃から洋型霊柩車中心に。この頃からメモリアルコーナーが式場内に置かれるようになり、生花祭壇が人気に。

首都圏では会葬者は通夜に集中して「通夜・告別式」に。高度経済成長期以降の「葬儀・告別式」が死語になる傾向。
2001年、米国同時多発テロ、9月11日航空機を4機ハイジャック、世界貿易センタービル・乗客等の死者・行方不明は3千人以上。
全日本仏教会『戒名・法名について』小冊子発行、「戒名料・法名料はなくお布施、戒名・法名は仏弟子としての名を授かること」とする見解を公表。

2002年、中国で重症急性呼吸器症候群(SARS)患者が発生。この頃からインターネットによる葬儀社紹介。
2003年、アメリカ・イギリス等が、イラクが大量破壊兵器を保有するテロ国家であるとしてその武力兵器解除を目的に3月攻撃開始、5月に戦闘終結。 IFSAが日本人エンバーマーの養成開始。この頃から「グリーフケア(サポート)」が関心を集める。

災害、葬儀の小型化、ひとり死
2004年、新潟県中越地震、死者68人、避難住民10万人を超す。家屋倒壊1万6,000棟。スマトラ島沖地震・津波、死者・行方不明者約23万人、戦後最大の大惨事に。
この頃から大企業による社葬がホテルを会場に無宗教のお別れの会方式で行われることが多くなる。『がんばれ仏教!—お寺ルネッサンスの時代』。

2005年、公正取引委員会が葬祭業対象に初めて調査を実施し、消費者への説明不十分、誇大広告等の景品表示法等違反を指導。葬式の平均会葬者数が132名となり、2001年段階の平均280名の半数以下になり小型化実証。斎場(葬儀会館)が葬儀の小型化に合わせ小型化傾向に。この頃からバン型霊柩車が火葬場送りでも主流に(宮型霊柩車は3割以下に)。
2005年、金融庁により「少額短期保険」が法制化され施行(それまでの無認可共済を消費者保護の観点から整理)。

この頃から「ひとり死」(マスコミ的には「孤独死」)が話題に。阪神・淡路大震災後の復興住宅で10年間で500人以上のひとり死があったとの報道がきっかけ。日本、都市部人口対郡部人口86対14。

2006年、自殺対策基本法施行。「エンバーミングはIFSAの自主基準に則り行うならば違法ではない」との大阪高裁判決確定。
2007年、政府『自殺対策白書』(年度版)開始。感染症法を改正(「結核予防法」を統合し、「人権尊重」や「最小限度の措置の原則」を明記するなど)。

リーマンショックと無縁社会
2008年、隠岐無人島カズラ島を散骨場に。ライフリンク『自殺実態白書』。大型サイクロンがミャンマー(ビルマ)を襲い死亡約350人。中国四川省で地震、死亡約4万人。
9月15日、アメリカ、リーマンショックで世界に金融危機が拡がる。
2009年4月、WHOが豚起源とする新型インフルエンザが人間に感染と発表。
「臓器移植法」の改正。年齢を問わず、脳死を一律に人の死とし、本人の拒否がない限り家族の同意で提供できるように。
映画「おくりびと」が第81回米国アカデミー賞外国語映画賞を受賞。大手スーパーのイオンが葬祭業へ進出。
2010年、ハイチ地震、死亡20万人以上、被災者300万人以上。中国・青海地震、死亡・行方不明約3千人、負傷1万人以上、被災者約10万人。

NHKTVスペシャル「無縁社会」が話題を呼ぶ。それによると身元不明の行旅死亡人が年間約1千人、引き取り手のいない遺体が年間約3万1千人(2009年)。一般社団法人IFSAが改正自主基準を策定。家族葬、直葬に加えて葬式の「一日葬」が人気に。

東日本大震災
2010年、島田裕巳『葬式は、要らない』が20万部のベストセラーで葬式の要・不要論の論議が活発に。イオンが僧侶へのお布施目安額を発表したことで全日本仏教会と対立。

2011年3月11日、東日本大震災。14時46分頃発生、三陸沖から茨城沖まで長さ約500km、幅200㎞にわたる震源域で、観測史上最大のM9.0の地震。岩手、宮城、福島・茨城の太平洋岸の市町村を14mを超す大津波が3〜5kmにわたり襲い、明治以降類を見ない大惨事に。
東京電力福島第一原子力発電所が被災し、事故評価最悪レベル7の大事故(1〜4号機全電源喪失による炉心損傷の過酷事故、水素爆発により大量かつ広範囲な放射能汚染で広域での避難、立ち入り禁止区域の設定、海産物・農産物が出荷停止に)。死者15,893人・行方不明2,556人、負傷者6,152人(2016年12月9日現在、警察庁発表)、関連死3,472人(2016年6月30日現在、復興庁)。死者・行方不明・関連死の合計は21,921人にのぼる。

2012年、WHO(世界保健機構)アフリカのエボラ出血熱で緊急事態宣言。
2016年4月14・15・16日、熊本地震。最大震度7、M7.3。死者50人(警察庁)、関連死61人(熊本県)。

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/

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