■デーケン先生の死
今朝(9月7日)の朝刊で、日本で「死生学」を最初に提唱されたアルフォンス・デーケン先生(上智大学名誉教授)の死を知った。
朝日新聞
https://digital.asahi.com/articles/ASN966598N96UCLV007.html
読売新聞
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20200906-OYT1T50181/
6日の午前3時、肺炎のため88歳で死去。
デーケン先生は「生と死を考える会」を立ち上げられ、death educationを「死の準備教育」と名づけて紹介。
death studyを「死生学」と名づけて紹介。今や各大学でも「死生学」が標準語となっている。
■デーケン先生との出会い
デーケン先生との最初の直接的な出会いは、約25年前のことだ。
デーケン先生が60歳を超えたばかり、私は50歳前後の頃であった。
生と死を考える会で葬儀について講演するようにとのデーケン先生からの直接の依頼を受け、上智大学の先生の研究室にお邪魔した。
生と死を考える会では当時はターミナルケアについての関心が高く、医療関係者が会の構成の多くを占めていた。
葬儀をテーマとするのは看護師さんたちからの提案であった。
医師にとっては死亡に至るプロセスが重要であったが、看護師は看護の過程で家族とも接しており、中には個人的な休暇をとって葬儀に参列する人もいる。
「死亡退院後に死者、遺族のたどるプロセスについて知りたい」というのが看護師たちの提案主旨であった。
ちなみに葬儀をテーマとすることに反対したのは医師たちとのことであった。
生と死を考える会としては最初の葬儀をテーマとする講演会となった。
その後もデーケン先生とは話をする機会があり、雑誌『SOGI』でも先生にインタビューをさせていただいた。
■意見の違い
私はデーケン先生の意見には必ずしもすべて賛成ではなかった。
最大の違いはdeath studyについてであり、人間学として「死学」でいいのでは、「死生学」は何か口当たりをよくしているように私は感じた。
そこで当時月刊誌だった『論座』で特集を若林一美さんと一緒に私が扱ったときにはタイトルを「死生学」とせず「デス・スタディ」とした。
death educationを「死への準備教育」と訳すと、個人的な死への備えという面が強調されるきらいがあるのでは、と異論を申し上げたこともある。
■人柄が大好き
「グリーフケア」が流行語になっているが、私は遺族の心的作業としてある「グリーフワーク」の重要性を唱えている。このきっかけとなったのはデーケン先生との議論で、これについては二人の考えは一致した。
「グリーフワークを悲嘆の癒し」というニュアンスで使用する人が多かったが、いわば「喪の作業」としてとらえ、近親者が死別という事態にどう対処していくかがむしろ重要で、周囲のケアはこれを邪魔しないことが重要。グリーフケアの限界を認識しておくことが重要になる。
デーケン先生とは意見を異にするところもあったが、私はデーケン先生の人柄が大好きであった。
デーケン先生なくして戦後の「死をタブー」とする日本文化を変える歩みはなかった。