じんわりとした不安が爆発する時

本日は2020年最後の日である。
といっても暦の上での話である。
3日がかり毎朝1時間の大掃除の締め。


■COVID-19発生から1年、コロナ禍がもたらしたもの

1年前のきょう、つまり2019年12月31日、中国武漢市当局はWHO(世界保健機関)に対し、後にCOVID-19と名づけられる新型コロナウイルス感染症の流行発生を報告した日である。
COVID-19の発生は2019年11月とも、さらには7月ともいわれる。

2020年1月末からの世界的同時流行により、世界は大きく変化し、まだ大きな流行の渦の中にいる。

感染の拡大による人間的接触の大きな抑制がもたらした心理的なじんわりとした不安の長期化は、多くの人にストレスを与え、目に見える形でだけではなく目に見えない形でも、そこそこで小爆発を引き起こしている。子どもたちに、青年たちに、そして沈黙する大人たちに。

そして社会的経済的打撃の甚大さ、特にグローバルに見れば格差の大きい貧困層、就業不安定層を直撃したコロナ・ショック。
3月から明確になった各国各地での医療崩壊はいったん立て直したかに見えて秋からまたシビアな状況を迎えている。
ワクチン供給が英国や米国で開始されたが、全世界的に見ればほんの最初期で、全体的な普及による流行の沈静・安定化がいつかはまだ見えていない。

■流行の現況

世界の現況

2020年12月31日午前10時現在のジョンズ・ホプキンス大学のCOVID-19 Dashboard によれば、世界の感染状況は以下のとおり。
感染(陽性)者合計 8千万人超の82,618,673人
死亡数 約200万人に迫る1,802,439人

毎日2020/12/31

死亡数が5万人を超えた国は ※( )は陽性者数

①米国   341,845人(19,715,899人)
②ブラジル 193,875人(7,619,200人)
③インド  148,439人(10,244,852人)
④メキシコ 123,845人(1,401,529人)
⑤イタリア  73,604人(2,083,689人)
⑥英国    72,656人(2,440,167人)
⑦フランス    64,508人(2,657,624人)
⑧ロシア       55,692人(3,100,018人)
⑨イラン   55,095人(1,218,753人)
⑩スペイン  50,689人(1,910,218人)

日本国内の現況

日本国内においては2020年12月31日午前10時時点での厚労省によるまとめでは
感染(陽性確認)者数は、第3波を迎えて1日あたり3千人を超し、累計で20万人を超し、225,618人
死亡数は1日あたり40人を超し、累計3,348人

Google予測では1月20日頃までは、ゆるやかであるが増加の見込みである。

明らかに欧米等とは違うレベルであり、日本にいてはコロナ・ショックの実態は見えていない、というのは承知しておく必要がある。
それでもコロナ禍が与えている事態は深刻である。

国内の陽性者数の推移(厚労省 2010/12/31)

入院治療を要する者の数は第1波で医療崩壊危機に立ったが、第3波が大きく、再び医療崩壊危機に立っている。この状況が続けば緊急事態宣言が再び、ということすら考えられる。

入院治療を要する者の数(厚労省)
検査体制(厚労省)


3~5月の第1波では保健所による検査体制が問題とされたが、検査体制は大きく変化して、現在ではその主体を民間が担うようになっている。
問題は検査が受けられないことではなく、陽性確認されても適正な医療、隔離体制が迅速に取られないことが問題となっている。

■じんわりとした長期的不安がもたらすもの

ソーシャル・ディスタンシング(3密を避けるために物理的な距離を取ること)、不要不急なものの自粛…という感染拡大防御策は、一時的な段階では問題が少ないが長期的におよぶとさまざまな弊害をもたらしてくる。

特に子どもから青年期にかけては、その時期にこそ学習すべきことが自粛されることによる弊害が少なくない。
成長期には学ぶに時期がある。

「不要不急」とは、極めて主観的なものである。ある人たちにとって不要不急であっても、それに携わる者たちにとっては生業の圧迫になるし、一時的には不要不急と思われたものが長期化することで欠かせないものであったことが自覚されることもある。

人間の文化というものは不要不急の塊と言っていいかもしれない。
これを失うことによって心的に大きな傷をもたらしかねない。一部の人にとっては無縁かもしれないが、一部の人にとっては欠かせないものである。
だいたいが、何が「ムダ」かは、当人にとってもわからないものである。
私の人生なんて、他人の眼ばかりではなく、私の眼からでも、ムダばかりと言っても過言ではない。
社会を全体的に見るとけっして見えない、個々の問題が大きく浮かびあがる。

人間の交流はコロナ禍以前であっても、地域共同体、企業共同体だけではなく、さまざまな共同体が衰弱し個人化が著しいものであった。
ある人たちは、誰かのマンションに集まって、密かにうっぷんをはらしているかもしれない。
しかしそれは閉鎖空間の出来事である。

人間関係の閉鎖化は時代の流れではあるが、生活自体の環境が開かれていることにより、その流れは変化する可能性をもっている。
閉鎖化が固定すると行き場がなくなる恐れがある。

家庭内DVだけではなく可視化されない暴力がはびこる恐れがある。
暴力とは物理的なものだけではなく、また他者から与えられるものだけではない。
自らが自らに加える無自覚的なものも大きい。

少年期から青年期に対して「楽しい」と思う人も多いだろうが、私個人で言えば「苦しい」ことが多い時期であった。
それは他からもたらされるものもあったが、自らを統御できないことによる苦しみが多かった。
閉塞し、自らの中に閉じこもることも多かったが、それでも、異化と思えた外部は開かれていた。
もし、その開かれた空間がなかったら私はどう生きたのであろうか、見当もつかない。

閉塞が長期化している現在、成長期にある者たちのことを真剣に憂いている。

また人間の交流とは、触れる、抱く、目を向き合う、話す、臭い・匂いを嗅ぐ、音を直接聴く…等の直接の接触を欠かせない。
そこから友情、恋愛、趣味も生まれ、育まれる。
そうした直接的な接触なくして問題を最小限に留める努力は推奨されることもあるが、それで解消するわけではない。

極端に言えば、コロナ禍以前から「毎日が日曜日」である年寄りである私にはさほど影響を深くするわけではない。
だが、どこかで、誰かに、確実な、深刻な傷を与えているだろう。

コロナ禍にある時代、社会を見るとき、こうした「傷」があちこちにあることを忘れてはならないだろう。

広告

投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です